◆藤井景子
青島迷你島便利店有限公司
CVS商品常温物流本部 マーケティング部
青島市市南区福州南路9号新世界大厦5階518
0532-8506-5882
1977年4月生まれ(広島県福山市。小中高は岡山県倉敷市)
2000年筑波大学第二学群比較文化学類卒業
2000年ミニストップ(株)入社
2010年 8月に青島ミニストップへ出向

現地の方々だけでなく、もちろん日本人など外国人のお客さまにも安心して使っていただけるお店づくりを目指しています。品揃え、サービスともに発展途中ですが、「ここにお店をつくってほしい」「こんな商品がほしい」「このお店のサービスなんとかしてほしい」などといったご意見があれば、ぜひぜひ、どしどし、ご連絡いただければと思います!
REGINA
今回の滞在の主目的は、2011年世界柔道大奨賽(中国站)
ReY.S coolcore Grand Prix, Qingdao China
12/15の開会式セレモニーと12/16夜潤会所のライブを青島TVに収録の為でした。
先ずは、お二人のインタビューしました。
MARIA 24歳 姉
AIRI 22歳 妹
Q.日本と中国の観衆の違いは?
A.ステージに立っと、最初は不思議そうな顔で私達を見つめてられるんですが、ライブを始めると、みんなの顔がみるみるうちに変化してゆくのがすごいです。
新しい音楽を聞こうとする積極的な熱がビシビシ伝わってきます。
日本ではCDを聞いた上でライブに来るというのが普通ですが……
Q.音楽活動されていて、日本と中国の違いは?
A.何もかもが大きいです。会場も大きいです。リハーサルスタジオも日本だと10坪ぐらいが多いですが、こちらのスタジオは、ミュージカルでも出来ちゃうと思うくらいです。とにかく大きい大きい(笑)です。
でも、それは私達にとって、すごくいいことです。快適です。
Q.青島は4回目とおききしましたが?最初の印象は
A.ビルの数が多い、車が多い、食事の量が多い。何でも多いのにびっくりしました(笑)
トイレットペーパーが外にあったのもびっくりしました。
でも、それも合理的ですねー(笑)ないとこもあるし。
Q.お二人で喧嘩することはありますか。
A.妹姉仲はとてもいいです。
最初からユニット活動という意識はなかったんですが大学が2人共ミュージカル学科でして、その頃からデュオ活動を始めました。
好きなミュージカルは「バーレスク」です。田舎の娘がBAR酒場で働きながら成功してゆくというシンデレラストーリです。
Q.好きな中国料理は?
A.温麺です。そして水餃子(笑)
Q.ご出身は?
A.東京生まれの東京育ち、江戸っ子です。
青島では去年の8月、ヨットハーバの特設ステージでLIVEをしました。
中国でいまのところCD発表の予定はないのですが、是非だしたいと思っています。
Q.お二人のお好きな歌手及び曲はなんですか。
A. MARIA ホイットニーヒューストンです。曲は、ボディガードの主題歌、「I always love you」です。
AIRI アライアキャリーです。曲はビヨンセの「Listen」です。
Q.お二人が人生最後の晩餐になる時、食べたい物は何ですか・
A.MARIA フォアグラかな(笑)。
AIRI パスタです。
Q.何か信条というか大事に思ってられることはなんですか。
A.MARIA 人生とは決して後悔しないこと
AIRI やはり“初心忘れず”です。
Q.ナビゲーター読者にメッセージをよろしくお願いします。
A.私達は日本を代表して青島での音楽活動をもっともっとやってゆきたいので応援よろしくお願いします。
「楽しかった!!!」
“ライブを終えた直後にどうでした?”と最後の質問を投なげかけた時の二人の汗と笑顔から発せられたコトバです。最高のコトバでした!
REGINA LIVE AT 潤会所 QINGTAO
外は氷点下の夜、潤会所に数百人の若者が集まり、熱気ムンムンに加えスモーキィな雰囲気の中、PM9:40、遂にREGINAがステージに。オープニングは、世界の歌姫マライアとホイットニーのデュエット曲“WHEN YOU BELIEVE”二人にとって、ぴったしの曲で、最初の曲で早くも聴衆をKO!唄い終わると同事に聴衆は「オーアイニー」「愛してるー」と日本語と中国語両方で叫び始めました、これにはびっくり!つづいて「未来へ(後来)」、最初、日本語で唄い、後半、中国語に変えて歌い始めた時に、一斉に拍手が巻き起こり感動的な瞬間を迎えました。
そうこうして、曲間に司会者からインタビューを受けたりしながら、LAST SONGの“I DO BELIVE”まで全8曲。バラードありディスコ調あり、ロックロール風あり、場内はそのたびに、手拍手がライトティックの乱舞が、踊りだす人もいて、異常な熱気と興奮と共にフィナーしとなりました!!
熱く熱く笑顔が溢れ出る実に感動的なライブでした。
ありがとうREGINA!又、青島にきてよー!!
全曲リスト
「WHEN YOU BELIEVE」「」「未来へ(後来)」
「WELCOME TO BURLESQUE」「HELLO」
「ONE NIGHT ONLY~FAME」 「THAKS TO」
「ロックの木の実」「I DO BELIEVE」

「青島中集環境有限公司(住所:青島市経済技術開発区黄河東路1号、電話:0532-86935726、Fax:0532-86935720、メール番号:266500)」様について;
(1)御社の事業内容を読者の皆様に説明して戴けますか?
生活ゴミ等を圧縮しながら収集し、ゴミ収集中継基地や焼却所や埋め立て地まで搬送する圧縮式塵芥収集車(所謂、ゴミ収集車)の製造・販売を行っている日中合弁企業です。中方はコンテナ製造・販売では世界の半分以上のシェアを持っている中集グループ、日方は富士重工業と住友商事からの出資により、青島市経済技術開発区に設立されました。現在、中国国内だけでなく、香港・東南アジアにも製品を輸出しています。
(2)御社は中国市場でのシェア―はトップグループとお聞き致しますが、現状を教えて戴きたく。
2008年よりの製造販売開始以来、年々シェアを上げ、現在業界実質第2位となっています。
(3)青島に会社を作られてどのくらいになりますか?なぜ青島(黄島)に?
会社設立は2007年です。当開発区には中集グループ傘下の青島中集コンテナと青島中集専用車の2社が既に有り、同じ工業区に当社も設立される事により、中方グループ会社の色々な協力が得られる為、開発区に設立されました。

(4)現在特に力を入れておられるビジネス分野(車両種類)はどのようなものでしょうか?
現在は当社は圧縮式塵芥収集車のみですが、今後他の環境保護車輛や設備を製造し、商品の種類を増やして行く方針で現在検討中です。
(5)中国は環境保持について注力しつつあると聞きますが、御社業界から見て、現状(過去対比)はいかがでしょうか?
中国政府も環境保持には注力しており、昨年3月に温家宝総理より、都市生活ゴミの処理を更に強化する旨の通達が全国に出されました。今年2012年は中国全体のGDP成長率予測が7.5%で従来比ダウンし、経済の落ち込みが心配されますが、環境ビジネス面への影響を現在注視している所です。
(6)御社は青島工場の生産車両を中国各地に販売納入しておられますが、現在中国のどの地域向けが多く、今後需要も含めてどの地域が伸びそうでしょうか?
弊社は従来、地元の青島や済南等の山東省内各市、北京・天津・上海・杭州・合肥・広州・海南島等の沿海地区を中心に販売をしてきました。今後は、更に内陸・東北地区へも拡販して行く予定です。また、販売と同時に大切なアフターサービス拠点の各地区での確立にも注力しています。
(7)今まで、青島工場の立ち上げや車両生産を通じて一番苦労されたことは何でしょうか?逆に一番嬉しかったことは?
弊社は、2007年の会社設立から、殆どすべて素人が問題に突き当たりながら一から努力して作り上げて来た会社と言って良く、ようやく最近従業員も皆、自分たちの会社を良くしていこうというマインドを持って来たのが嬉しい事です。
(8)青島(中国)においてビジネス/御商売上一番面倒(困難)なことは何でしょうか?逆に、日本に比べてベターと思われることは何でしょうか?
中国では日本とは異なり、ゴミの分別がされていない為、弊社の塵芥車はどの様なゴミにも耐えられる強度を備え、また水分が多い生もの対策として汚水漏れをしない車を製造する必要が有ります。一方で、中国のお客様は、あまり細かい事にはこだわらない大らかな方が多いと思います。
(9)青島、山東省(中国)の経済展望をどのように予測しておられますか?
山東省は日本や韓国にも近く、また北京と上海の中間にも位置し、現在既に広東省に次いで中国国内GDPで第二位となっていますが、その経済地位は今後も益々高まって行くものと予想します。その山東省の中でも、内陸に有る省都済南に比べ、海運にも恵まれる沿海の青島の発展は大いに期待出来ると思っています。
(10)御社の今後の事業計画や展望を、差し支えない範囲でお聞かせ願えますか?
2008年の製造販売以来、毎年台数を増し、昨年は約500台を販売。今年2012年は800台の販売を目指しています。また、2017年には製造車種・品目も増やし、約2,000台を目指しています。
(11)御社のPRを自由にどうぞ
青島市にも既に150台程販売済みで、市内でも時々当社の塵芥車がゴミ収集の為、走り回っているのを見かけます。弊社の塵芥車の基本色は青島の海をイメージしたブルーであり、また‘CIMC中集’とも書かれている塵芥車を見つけたら、当社の製品ですので、是非ご注目下さい。
(12)青島の日系企業、日本人や、そこで働く人たちにアドバイス、メッセージをお願い致します。
読者の皆さまも日々のお仕事等でお疲れの事と思いますが、青島は崂山等の風光明媚な所が多く、お休みの日には運動の為にも、気持ちのリフレッシュの為にも、是非たまに訪れられる事をお勧めします。
(13)菅谷様、鈴木様の入社後の履歴、座右の銘、ご趣味、ご家族構成
①菅谷博一
・2009年3月着任。現在、副総経理。
・座右の銘 「為せば成る、為さねば成らぬ何事も。成らぬは人の為さぬなりけり」
・趣味:登山 主なフィールドは労山、浮山、午山、小珠山等。
・家族構成:現在単身赴任です。妻と長女、長男は栃木県宇都宮市に在住。
②鈴木聡
・2011年4月末着任。現在、副総経理。
・座右の銘 今は特に有りませんが、敢えて言えば、‘明天比今天更好’という事でしょうか。
・趣味:ゴルフ・読書ですが、今は、弊社同僚の菅谷氏の影響で、山登りやハイキングに凝っています。
・家族構成:現在単身赴任です。妻と大学生の長男・長女が実家の埼玉県草加市におります。
*質問事項;
「日新国際貨運有限公司青島分公司様(住所、電話、Fax、メール番号)」様について;
青島分公司:青島市南京路66号 中天恒大厦4F 電話:0532-85018488 FAX:0532-85010004
(黄島事務所):青島開発区 長江中路216号 城市桂冠商務中心B座1106室 電話:0532-8699-0870 FAX:0532-8699-5034
(煙台事務所):煙台市芝罘区海港路26号 陽光100 B座2209室 電話:0535-6588/252 FAX:0535-6588-253
�中国での御社グループの組織体制、青島分公司様の営業地域、営業ロジステック種目について、読者の皆様に説明していただけますか?
中国に於ける弊社の拠点は6現法 66拠点と幅広く展開しております。また、山東省に於いては青島に本部を置き 黄島、煙台に事務所が有ります。
事業としては海上、航空輸出入事業のみならず、倉庫保管事業、設備プラント輸送事業、国内物流事業、引越し事業、展示会事業を行なっております。
�青島に分公司を、黄島と煙台に事務所会社を作られてどのくらいになりますか?そもそも青島に進出された経緯は?その後のご発展経緯は?
弊社は1965年から中国に進出し多くの拠点展開を行って参りましたが、この山東省への展開は中国事業に於いて
不可欠で有り、2006年に青島分公司を設立致しました。また我が社の信念はお客様のニーズに基づき、立場に立ち、
満足して頂けるサービスの提供であり その為にはどうしても地域に密着した活動が不可欠と考え2008年に黄島に、
2010年 煙台に事務所を開設。その地域に適した物流の構築を目指しております。
�御社は種々のロジステックサービスを展開しておられますが、現在特に力を入れておられる分野はどのようなものでしょうか?
VMIや物流園区を活用した複合的な国内物流サービスです。維関連では検品業務やアソート業務を請け負う直流サービスの構築を目指しております。
また、今後益々高まる中国国内需要の中で、内航船国内輸送サービスや、また弊社合弁先(SINOTRANS)との、鉄道輸送サービスもこれから広げていきたいですね。
�今まで、青島、黄島、煙台のビジネス展開で一番苦労されたこと(困難)は何でしょうか?逆に一番嬉しかったことは?
苦労した点は、全てがゼロからの出発だった事でしょうか。また、青島に於ける多枝に渡るお客様の業種にも困惑しました。
中国の物流事情は江蘇省時代に分ったつもりでおりましたが、地域の特性、お客様の業態にはやはり慣れるまでに数年
掛かりました。しかしながらそこで多くの企業様、お客様と知り合えた事が何より嬉しかったことですね。
�青島(山東省)のご感想は?
仕事以外で言えば、中国の避暑地で海あり山あり、気候も過ごしやすく、またそこにおられる日本人の方々も皆さん
良い人ばかりで非常に気に入っております。
�今後、青島、山東省(中国)の経済展望をどのように予測しておられますか?
これまでの輸出型(加工貿易等)より国内販売型への移行が各企業の皆様に顕著に見受けられ特に食品、繊維、電子、及び自動車産業に於いては
益々内需型傾向が高まると予測しております。
�青島にてボウリング同好会を立ち上げられましたが、ボウリングへの思い入れは?
中国に来てあまりに暇なんで始めました。青島赴任時は未だ今のように同好会活動も多くなく
体育部会については皆様の足を引っ張る事を気にしてしまい入りにくい部分が有りました。
その点、ボウリングであれば一人からでも出来る、且つ人に迷惑を掛ける事も無く自分との
戦いが出来ますので、2008年に宮内君と共にボウリング同好会を青島に立ち上げました。
加え、煙台の方々の交流の場として、ボウリング同好会立ち上げのお手伝いをさせて頂き
今年 煙台でもボウリング同好会が出来た事は本当に嬉しい事です。
たった10本のピンを倒してしまうだけの簡単なスポーツのはずですが、これが結構難しいんですよ。
今は、ボウリングを通したくさんの方々と出会いが出来る事が非常に幸せですね。
�中国での生活面で楽しいことは何でしょうか?
以前からおられる大先輩の方々、新たにお見えになられた方々とお知り合いになれ、わいわいがやがや
とお酒を飲んで過ごす時間が一番楽しい事ですね。それに加え 国境を越えた多くの友人との
交流もまた非常に楽しい時間でしょうか。
�中華料理は如何ですか?
安いものは美味しい!言い方を変えれば高いものほど美味しくない!って感じでしょうか。
少なくとも私のような小市民には点心のようなちょっとしたものが本当に美味しく感じます。
ですが中国の方にしてみれば あれはもてなしには失礼と言って・・・
個人的にですが、気をつかってもらって高級な料理(さそり、なまこ等の珍味)を出してもらう時、
気持ち的にはありがたいのですが、弱りますね。
�御社のPRを自由にどうぞ
弊社と中国との関わりは深く、中国進出して既に半世紀ほどになろうとしております。
長年の中国物流のノウハウと中国全土を網羅する日新拠点ネットワークを活かし
「かゆいところに手が届く日新サービス!」を皆様にご提案致します。
また、アメリカ、ヨーロッパ以外にも全世界各国に日新グループのネットワーク拠点を網羅。
特に近年目覚しい成長を続けている新興諸国(ロシア、インド、東南アジア各国、中東)にも
広く展開しており、グローバルで高品質な物流を展開しております。
また、「モンゴル向け複合一貫輸送」「中国~ベトナム陸路物流」「ロシア、東欧諸国向け シベリアランドブリッジ物流」
「中国~中央アジア向け チャイナランドブリッジ」物流等、日新ならでは!の特色あるサービスをご提供しております。
�山東省の日系企業、日本人や、そこで働く人たちにアドバイス、メッセージをお願い致します。
若輩者ゆえ アドバイスなどおこがましい限りですが、一言言わせて頂ければ、この地でお知り合いになれる方々は
日本の方にしろ、中国の方にしろ、他国の方にしろ、本当にこの上ない財産だと思います。
折角このようなこの上ない機会ですから、この地に入りいろいろ批評する前に 是非 たくさんの交流をして戴き
彼らの考え方、生き方を通しその中で自分なりに有益となる良い点を学ばれてはいかがでしょうか。
○中国の方をみてすごいと思うところは?
とにかく道理がすごい!それが日本人的な観点から見てかなり不条理な事でもそれを通そうとする
その気迫には圧倒されます。いつのまにか最終的には 私が間違ってる??と錯覚を起こしてしまいそうな
くらいですね。
○中国の方をみて、日本人が見習わなければならない点は?
自己主張の強さや自立した生き方ですね。中国にも長いものには巻かれろ的発想は多々見受けられますが、
それでも日本のように終身雇用的な概念が少ない為、最終到達目標を個人個人が持っており自分を主張する
事で正当化し無理やりでもなんとか道を開いて行く。この自立した生き方はすばらしいですね。
日本人だと日々穏便になんとなく・・・って概念が今でも強いような。ただ最近の中国の若い世代に於いては
だんだん自立と言う言葉が当てはまらなくなりそうですが。
○中国の方に対して、これだけはやめてほしいと思うところは?
言い出すと切が有りませんね、実際に被害を被る事として挙げると①マクドナルドなどでの無秩序な横入り、
②危険な運転、③お店での大声、④タクシー運転手のマナー、⑤お買い物の強要?・・・等でしょうか。
特に①のマクドナルドやケッタッキーでは20~30人ほど人がいると買うのを諦めますね。
⑤のお買い物については男性の方なら経験が有りますよね(笑)
�吉浦様の入社後の履歴、座右の銘、ご趣味、ご家族構成、
中外運-日新国際貨運有限公司(青島分公司)
吉浦 広志 総経理 (複合輸送士)
1961年生まれ熊本出身
1984年 株式会社 日新入社
2001年 江蘇日新有限公司勤務(無錫)
2007年 中外運-日新国際貨運有限公司(青島分公司)勤務
座右の銘 : 我思うゆえに我有り
「世界のマリーナファッションをリードするあのシナコバが愈々青島へ上陸!」----日韓でマリーナビジネスを展開する伊部株式会社の海外事業開発室長;今川裕史様が弊社へご来店!シナコバブランドへ肉薄しました!
伊部株式会社(本社;〒540-0012 大阪市中央区谷町二丁目7番7号、電話番号 0081(6)6944-1103、FAX番号 0081(6)6944-1205、http://www.sinacova.co.jp/ メールアドレス;imagawa@sinacova.co.jp

(1)ズバリ「シナコバブランド」とは?
イタリア生まれのマリンスポーツ、マリンリゾートウェアー。創設者はコバ アドリアーナ スザンナ。
彼女の愛称(シナコバ)がブランド名に使われており、コバ自身もスキー、ヨットなどのあらゆるスポーツをこなし、そのキャリアを元にスポーツの機能性とイタリア人らしいファッション感覚を加味したマリンスポーツウェアーを考案。イタリアの地中海地方のリゾートウェアーとして、とりわけ上流文化人に愛用されるようになり、その地位を確立しました。
(2)「シナコバ(伊部株式会社様)」の事業内容を教えて下さい。
シナコバウエアーを主体に、マリンライフ(衣食住遊)を提案するためのライフスタイルコーディネーターとして喜びと感動をお届けできる企業です。(マリンコンシェルジュ)
(2)「シナコバ」マリーナビジネスの進展経緯を教えて下さい。
今後の進展としては、我々が貢献できるマリーン業界、つり業界スポーツ業界、高い顧客層のリゾートホテル業界、その他の異業種へのコラボレーションを提案し、日本国内をはじめ海外市場として中国、香港、オセアニア、シンガポールへの進出を考えます。
(3)横浜のシナコバクルーズと韓国シナコバビジネスの現状は?
横浜でのシナコバクルーズは、日本の企業KMCコーポレーションとのコラボレーションにより横浜港をキャプテン・シナコバ号で遊覧し楽しんでもらうと言う企画。様々な衣食住遊の提案メニューから選択できるようになっています。韓国のビジネスは、百貨店を中心にアパレル事業を展開し、日本同様マリンライフスタイルの提案を行っています。韓国企業ベストマリンとのコラボで、シナコバクルーズなども計画中です。
(4)中国最初のターゲット地としてなぜ青島を?
青島のマリンライフへの環境が中国国内では、ずば抜けていると言うことが一番の理由です。
マリーナの整備、設備、関心などすべてにおいて恵まれています。もちろん問題点もないことは
ありませんが、とりわけ北京オリンピックの青島でのインフラの整備と言うのが国家を挙げての事業であった為、環境としては国内唯一と考えます。
(5)シナコバの青島でのビジネス目的と具体的なターゲットは?
目的は、中国進出の拠点とし、在住の日本の皆様から始め、中国の方々に愛用していただくように考えマリンライフスタイルの提案を実現します。具体的なターゲットとしては、在住の日本人をはじめとし、最終的には中国人富裕層をターゲットに考えています。
(6)現在特に力を入れておられるビジネス分野(商品)はどのようなものでしょうか?
シナコバの中でもイングレーゼのラインが提案するゴルフウェアー。シナコバ独自のコンセプトの
明確化とこだわりの商品企画。又、フィシング関連の商品開発とインターネットによる販売我社のホームページ内しか出来ない特徴のある商品の販売。前記したマリンコンシェルジュの充実などに力を注いでいます。
(7)今までの「シナコバ」ビジネス展開で一番苦労されたことは何でしょうか?逆に一番嬉しかったことは?
まだ知名度のないイタリア直輸入の商品の販売。まだまだ販売促進も出来ていない時期の
商品の説明、販売など。日本の文化としてマリンと言う文化が浸透していない時期にその
価値を説明し喜んでもらうことにかなり苦労しました。又、反面それが伝わり、文化、価値が認知されたときの喜びは大きかったです。ウエアーと言う概念はまだまだ日本では浸透していませんし、中国でも同じことが言えそうですが、それ故マリンライフスタイルの提案が出来、今後の発展の可能性は日本以上に大きいと考えています。
(8)青島、山東省(中国)の経済展望をどのように予測しておられますか?
山東省だけで日本と同じくらいの人口があり、ひとつの国家の規模と言うことを考えると、まさに経済の発展の可能性は多大です。又青島に関しては、国際都市として今後発展する要素は大いにあり今後についても特にマリン関連については中心的な場所になるように考えます。
(9)御社の今後の事業計画や展望を、差し支えない範囲でお聞かせ願えますか?
市場の多角化の追求(新しいニーズの開拓とリスクの分散)、海外市場、特に東アジアの需要を開発しブランドの世界戦略を考えていきたいと思います。其のベースとして、衣食住遊の商品提案を通してマリンライフスタイルコーディネーターと成る事です。
(10)青島のご感想は?
大変清楚なイメージ。他の中国の都市に比べ町並みも清楚でいわゆる雑踏したと言うイメージはありません。又、ドイツ統治時代の面影も残り観光地としての魅了もあります。
(11)御社のPRを自由にどうぞ
私たちの目的は、我社のお客様の視点に立ちお客様が思われている以上に、デザインと機能と品質とが優れている商品の価値を理解していただき気持ちよく買っていただくことです。そしてそれに加え他社にまねの出来ない我社の独自の貢献できることを絶えず提供し続けることです。それによってお客様に満足し、感度していただくことです。それには、どうすればお客様に満足していただけるか、どうすればお客様に幸せになっていただけるかを絶えず考えて考動します。
(12)青島の日系企業、日本人や、そこで働く人たちにアドバイス、メッセージをお願い致します。
青島皆様今後とも宜しくお願いいたします。
伊部社長殿の
生年月日,1952年3月11日
出身地、 大阪市
経歴、 慶応大学商学部卒、株式会社 鈴屋、伊部株式会社
ご趣味、 ヨット、バイク、自転車、
座右の銘、「念ずれば花ひらく」
家族構成 妻、1男1女
御歯科医院殿の特色を説明していただけますか?
最新インプラントやブリッジ方法、保存歯を用いての治療、矯正、抜歯、歯周病に的確に対応致します。
歯科医院を青島に設立されてからどのくらいになりますか?
2001年11月太平洋センターで開業、2010年1月からは頤和国際(TOP)ビルでも営業開始
青島に設立されたきっかけは?
開業以前、青島の日本人を含む外国人の歯科治療は大学病院しかなく、外国人も大勢の一般外来患者と同じ扱いで、繁雑で面倒な手続を行い、安心して治療できる環境には程遠く、1回の治療がほぼ丸1日を費やする状況を改善しようと開業を思い立った。

日本で博士号を取得され、治療研究をされたと言うことですが、その期間、場所は?
1993年大阪歯科大学の外国人研究員として、入れ歯、顎関節、インプラント等について研究、各種臨床治療を行った。1995年以降、大阪大学歯学部で「精密義歯の作り方」で博士号を取得。2001年1月には自らもメンバーであるロータリークラブ財団の特別シンポジュームで歯学講演をした。当初家族と神戸に住み、2000年から大阪に住み始め、翌20011年2月青島に戻った。
日本での思い出や日本の良い点、逆に改善して欲しい点をお聞かせください。
家族と住んだ神戸は青島同様海が近く快適に過ごせた。但し、その間に阪神大震災に遭遇したものの、半年暮らしていた神戸国際交流青年センターでは日本人の外人への分け隔てない親切心に感銘した。
実際に研究/生活されて日本と中国の違いは?
大学で日本人の休日も含め出勤研究する熱心さは独特。日本の街の綺麗さ、鉄道切符購入が効率的、食品包装は清潔で綺麗。
最近の歯科業界の話題(トピックス)はいかがでしょうか?
インプラントが普及しつつあり。又、歯周病の予防等、早期治療が認識され始めてきた。
治療を通じて 今迄苦労されたこと、逆に嬉しかったことは何でしょうか?
歯治療のために、24時間待機の自己に厳しい姿勢で、日々治療研鑽に励んでいる。以前治療した日本人を含む患者さんの紹介で、(青島や山東省のみならず)態々日本を含む海外や上海北京から来院する患者さんが最近多く嬉しい。
休日はどのようにして過ごされますか?
スポーツ中心(本来サッカーで過ごしたいが、最近は患者さんが増えている為、テニスが多い)
日本料理は如何でしょうか?
日本料理は油が少なく健康によいので、寿司や刺身も良く食べる。
御歯科医院のPRを自由にどうぞ
豊富な経験に裏打ちされた最新医療技術と設備で、患者さんンと共に「心と心が触れ合える治療」を心掛けています。
青島に駐在している日系企業、日本人へのアドバイス、メッセージをお願い致します。
世界人として、(表面的ではない)心の籠った緊密な深い付き合いをしましょう!
王博士殿のご経歴、座右の銘、ご趣味、ご家族構成;
1985年大学卒業、1985年空軍病院(北京、青島)、1993年大阪歯科大学、1995年大阪大学歯学部、2001年青島大学病院教授(臨床と研究)、2001年歯科病院開業、以诚感人者、人亦诚而应、スポーツ、旅行、奥様(貿易会社経営)、高校生のご子息(幼稚園~小学4年まで日本、現在米国留学)

住所:東海西路35号太平洋中心T5座1D室
電話:85025317
住所:東海西路33号頤和国際A座12A層06室
電話:85026719
営業時間:8:30~18:00


「欧地希機電(青島)有限公司
住所:青島経済技術開発区三江路588号
電話:0532-8672-0555
FAX:0532-8672-0559
メール:mitusishi@otcq.com.cn

①御社グループは業界では世界トップクラスとお聞き致しますが、グループ全体と
青島有限公司様の事業内容と現状を読者の皆様に説明していただけますか?
「OTC」とは、「㈱ダイヘン」(本社は大阪市淀川区)が溶接機、溶接ロボットを海外市場で販売する時の製品ブランド名です。ダイヘンは、溶接機器、電力機器及び半導体機器の三つの分野で事業を展開しています。溶接機器事業については、世界のアーク溶接機及びアーク溶接ロッボト市場においてすでに
世界のトップクラスの製造販売実績が有り、世界におけるトップを目指し事業展開を行っています。
その一翼を担うために、欧地希機電(青島)有限会社は、2003年に設立され((㈱ダイヘンが100%出資)、常にすぐれた先進技術の開発、製造技術と品質管理を維持し、「日本品質」を徹底した生産体制で実現しています。中国におけるOTCグループは、当社の他に、中国全土に販売網を持つ販売会社の「OTC機電(上海)有限公司」、もうひとつの生産拠点となる「牡丹江OTC溶接機有限公司」の2社があり、すでに中国の基幹産業となる自動車、造船、建設機械、建築用鉄骨、さらに鉄道車両製造用のステンレス鋼板およびアルミ合金などに関する「高品質溶接、高速溶接の分野」でOTC製品は大活躍しております。
②青島に会社を作られてどのくらいになりますか?なぜ青島(黄島)に?
青島市は、中国沿岸部の経済中心の一つで、中国重要な港運送中心であります。また主要都市の上海や北京と肩を並べ、家電、電子、紡績、食品、ゴム、化学工業などの中国発展の中で立地条件が整った都市です。設立時には日本への輸出を考えた時、港が近い事が好条件でした。国家級開発区が設立され、我々にとって投資環境が非常に良いので、2003年に青島開発区に工場を建設し2004年から生産を開始しまして、今年でまる8年になります。
③現在特に力を入れておられるビジネス分野(商品)はどのようなものでしょうか?
先に述べました通り、弊社は溶接機器メーカーです。得意分野は、高精度、高品質デジタル制御式インバータ溶接機の製造です。現在、日本設計された世界市場をターゲットとした最新鋭機を生産、また中国市場向けには、弊社技術部が開発した高精度、高品質CO/MAG自動溶接機等を主力製品として生産を進めております。
④御社は青島の日系機械関連メーカー企業で完成品を輸出しておられる数少ない企業とお聞き致しますが、現在どの国向けが多く、今後どの国〔地域)が伸びそうでしょうか?
弊社の製品は、日本、欧米、インド、東南アジアが主な輸出先です。中国市場は最も重要なマーケットで、今後は中国メーカーとの競争が厳しくなりますが、中国市場シェアーをもっと拡大するために、中国のお客様の要求をもっと満足する製品を開発して、中国市場での拡販を目指しています。
⑤今まで、青島工場の立ち上げや商品生産を通じて一番苦労されたことは何でしょうか?
工場の建設に当り、建設業者の選択では開発区政府の協力を戴き中国建設会社と契約しました。契約時点では、契約内容を明確にして契約を締結したつもりでしたが、完成後の工場の品質について満足出来る出来栄えでは有りませんでした。契約書に基づいて改善を要求し、交渉しましたが、契約内容を達成する交渉には至らず、かえって追加費用を要求される始末で、契約と実態がかけ離れているのが中国であることを痛感しました。中国での工場建設が最も苦労させられた思いが有ります。日系企業の皆さん要注意です。
⑥逆に一番嬉しかったことは?
当社は日本品質を会社方針の基本として生産しています。
社員の採用時からまた入社時の社員教育を徹底しこの考えを植え付けています。
事業の進め方はISO9001を取り入れ、全ての業務において手順書を完備してその手順通りの業務で
生産製品の品質を維持しています。おかげさまでOTCグループの生産会社として最も信頼の高い評価を得ている事は、管理スタッフのレベルの高さの賜物であると思います。
⑦青島においてビジネス上一番面倒(困難)なことは何でしょうか?
中国の急速な発展に伴い有能な社員の採用が難しくなってきています。また賃金のアップ、労働関連の法律の変更など急速な変化があります。これに対応するため社員の待遇の設定が非常に難しく、中国人社員のバブル的な考え方を理解しながら、給与等の待遇を設定することが一番頭の痛い問題です。
逆に、日本に比べて楽でベターと思われることは何でしょうか?
就任して約3年になりますが、日本に比べて楽と思った事は有りません。日本は日本の難しさが有り、中国は中国の難しさがあります。ただ中国の場合は事業運営の決定事項は素早く実行できる事です。
日本の親会社より数倍早い対応ができ、結果もついてきます。
⑧青島、山東省(中国)の経済展望をどのように予測しておられますか?
中国経済の発展はまだまだ継続して行くと思います。広大な土地の活用と世界一の人口を支えるために製造業だけでなく、あらゆる業種が拡大して行くでしょう。また現在の青島開発区は急速に発展していますが、更に交通インフラ(地下鉄、バス路線)が実現すれば、輸出に重要な港湾設備の充実に合わせて中国有数の都市になると想像出来ます。
⑨御社の今後の事業計画や展望を、差し支えない範囲でお聞かせ願えますか?
従来は日本設計の製品を中国生産し、世界各国に出荷する事業展開でしたが、今後は市場に密着した製品開発を行い、シェアーの拡大を図る事が必要です。すなわち弊社技術部を強化して中国市場はもとよりアジア市場に視点をおいた製品開発を進め、事業発展を推進して行きます。
⑩青島のご感想は?
青島の自然環境は海や山が身近に有り、夏は日本と違って過ごしやすく助かります。また花粉が飛ばない事は良いですが、霧が多い事、空が晴れない事などは気になる所です。
青島市(黄島)開発区の街並はここ1年余りで急速に整備され街路樹も多く綺麗なりました。これは行政府の方針と思いますがさすがです。
⑪中国での生活面で、中国の良い点と改善するべき点は?
良い点は単身赴任者でも買物や通常の生活で何とかなる事、お店の方々が親切に対応してくれる事です。
改善点は、マナーでは自己優先、レジでは並ばない、百貨店内で食品を触りまくる、手に取った物を元に戻さない等、衛生面ではトイレの使い方が悪すぎる。使用後流さない、トイレットペーパーを散らかす、マナーと衛生面は国の文化ですので改善が必要と思います。
⑫中国料理は如何ですか?
元々辛いものと香辛料が苦手です。単身赴任ですのでお惣菜を買いたいのですが、中々満足する味の物が少ないのが現状です。ただ大飯店の料理はどこに行っても美味しく食べられますので食べ過ぎてしまいます。
⑬休日はどのように過ごされますか?
日常の運動不足解消のため、土日どちらかでゴルフに行っています。
また、日系企業の方々との人脈や情報交換のため日本人会ゴルフにも出来るかぎり参加しています。
⑭御社のPRを自由にどうぞ
OTC青島は金属加工の生産用電気機器である溶接機を生産しています。青島はもとより山東省から中国全土の企業の方々には「OTC=ダイヘン」の溶接機や溶接ロボットの計画が有りましたらお声をかけて戴き、是非御検討をお願いします。プレサービス、アフターサービスも一貫して提供させていただきます。
⑮青島の日系企業、日本人や、そこで働く人たちにアドバイス、メッセージをお願い致します。
青島へは色々な業種の企業が進出していると思います。弊社は中国調達を拡大していますが、生産材料にに関わる企業様の情報が不足しています。成型品、機械加工、電子部品供給等情報を戴ければお取引を検討させていただきます。よろしくお願いします。
+三ツ石様の入社後の履歴、座右の銘、ご趣味、ご家族構成、
1969年 ㈱ダイヘン(旧大阪変圧器㈱)へ入社
2000年 ㈱ダイヘンテクノス 取締役社長に就任
2009年 欧地希機電(青島)有限公司 総経理に就任
趣味:ゴルフ


本公司由大黑工业与纸商事共同出资创立。本公司主要生产纸浆模塑,产品为工业缓冲材料,农产品托盘。医疗用托盘与西红柿,蜜瓜托盘为主要产品。针对产品运送时震动与落下实验进行缓冲设计。通过大黑工业的介绍,在烟台设立公司。现在主要研发的产品为血糖仪用托盘与人工透析用托盘,因为中国饮食生活的丰富,糖尿病患者持续增加。这部分医疗关联商品,今后将进入安定成长期。公司设立初期主要是对日本的来料加工,从去年起开展了针对杭州的国内贩卖。原料全部由四国中央市进口,中央市是日本有名的临海制纸工业区,能提供品质安定的原材料。在中国最辛苦的事情为与员工之间的交流,经过3年的努力公司工作才步入正轨。以现在的加工贸易为基础,展开国内销售是我们今后的目标。纸浆模塑生产的企业在中国很多,我们作为日本企业最大的优势为品质第一,提供客户满意的商品。纸浆模塑的原材料为再生纸,对环境没有伤害的商品。有兴趣的朋友可与我们联系。
獅王日用化工(青島)有限公司
住所:青島市経済技術開発区太行山路336号
電話:0532―86895858
FAX:0532―86895991
記事1頁質問事項
①御社グループは中国でも業界大手とお聞きしていますが、その位置は?
②御社グループの中国拠点と展開の現状は?
③事業内容と現状を読者の皆様に説明していただけますか?
⇒
弊社獅王日用化工(青島)有限公司(以下青島ライオン)は、日本のライオン株式会社の中国現地法人
です。ライオン株式会社は1891年(明治24年)東京神田柳原河岸の店舗にて石鹸の製造販売する
会社として誕生し、日本国内また海外のお客さんに支えられて昨年2011年に創業120周年を迎え
ることができました。そして日用品メーカーとしてアジアにおけるリーダーシップ確立を目指しています。
青島ライオンの営業拠点は、華北(北京)、山東、華中(上海)、華南(広州)、西南(成都)の5拠
点と生産拠点ここ青島1拠点で展開をしています。事業内容は、口腔製品(ハミガキ、ハブラシ、旅行
セット)の製造・国内販売及び輸出販売、日本ライオン製品の輸入販売、中国原料の輸出販売を営んで
います。
④青島に会社を作られてどのくらいになりますか?なぜ青島(黄島)に?
⇒
弊社は、1988年1月に経済技術開発太行山路に会社設立し、今年24年目を迎えることができま
した。設立のきっかけは、会社設立当時の中国方パートナーより2免3減半の税優遇策もある現在の場所
を紹介され選んだそうです。
⑤現在特に力を入れておられるビジネス分野(商品)はどのようなものでしょうか?
⇒
今、一番、力を入れているビジネスは当社の得意分野であるオーラルケア製品(口腔衛生品)です。中
国でも飽食が進む中、ムシ歯患者が増加し歯磨きの必要性が高まると予測されています。また、あと10
年もすれば日本と同じように高齢化社会が進むでしょう。そうした時に弊社が中国のお客様に向けてオー
ラルケアの啓発や日本で検証した確かな品質の製品を展開することによって「こころ(健康)とくらし
(快適)の価値」を提供していきたいと思っています。例えば、予防歯科。幼い頃から歯周病予防に取り
組んでおけば高齢になってもおいしく食事ができ、心と体の健康を感じることができると思います。
⑥今まで、青島工場の立ち上げや商品生産を通じて、一番苦労されたことは何でしょうか?
⇒
そんなに苦労したという感じはありません。従業員にも恵まれています。あえてお話するとしたら安定し
た品質の原材料の入手と設備の安定化だと思います。
原材料の品質が安定していなければ高品質の製品を生産することはできません。そのためには受入検査の
充実と原材料メーカーの指導が大きなポイントになります。特に原材料メーカーには文句を言うだけの押し
付けではなく、弊社も現場へ入り込んで一緒になってお互いにメリットを得るように改善計画を策定し改善
するように心がけています。現場に入れてもらえないメーカーさんには困っていますが。。。。また、設備に
関しては、故障してからではなく、故障する前に計画的にメンテナンスをするよう予防保全に努めて安定化
を図っています。
⑦今後の青島、山東省(中国)の経済発展状況をどのように予測しておられますか?
⇒
山東省だけではなく中国全体が経済成長の転換時期に入ってきていると思います。今までは投資と輸出で
経済を牽引し、「世界の工場」というイメージがあったと思います。しかし、今後は12次5ヵ年計画で
大きく掲げているように消費主導の経済成長つまり「世界の消費市場」へ転換し、国民の生活を豊かにする
方向へ向かっていくのではないでしょうか?弊社も日用品メーカーとしてビックチャンスであり、中国国民
の健康・快適に過ごせる製品をどんどん提供していきたいと思っています。
⑧御社の事業計画、展望を差し支えない範囲でお聞かせ願えますか?
⇒
新聞でも発表していますが昨年より工場拡張計画を推進しています。現在の工場敷地面積の約2.7倍
の土地に新工場を建設し移転する予定です。移転後の新工場では年間1億本以上のハブラシを生産すること
が可能です。そしてオーラルケア分野で中国No.1になることが我々の夢であり目標です。
⑨青島において工場生産やビジネス上一番大変なことはなんでしょう?逆に日本に比べてベターと思われる
ことはなんでしょう?
⇒
皆さんと同じと思いますが中国のビジネスでは日本以上に人との繋がりや付き合いが重要となります。特に白酒を中心とした懇親がポイントとなりますので、そのためには日頃から体と健康管理をしっかり行い、白酒に負けない体力の維持と忍耐力を鍛えないといけませんね。日本に比べてベターなことは、特に政府・行政関連のスピード対応ではないでしょうか?「やると決まったら早い、日本の数倍も早い!」
⑩清水様は黄島日本人会の会長とお聞きしていますが、同会の現状と今後の予定/企画を教えて下さい。
⇒
昨年から黄島・胶南地区日本人会の会長をやらせて頂いております。現在、約60社、約200名の会員
企業さま、会員さまが在籍しています。毎年、夏にバーベキュー大会、年末に忘年会、2ヵ月に1度のゴル
フコンペを開催し、皆様の親睦、情報交換の場を提供しております。今後も代々引き継がれているアットホ
ームな日本人会にしていきたいと思っています。
⑪中国の生活面で中国のよい点と改善するべき点は?
⇒
良い点は、色々な野菜の中華料理が豊富にあり、そしてとてもおいしいことです。日本にいた頃よりたく
さん野菜を食べていると思います。そしてフレンドリーな人柄ではないでしょうか。
改善するべき点は日本を含め世界中どこでも見受けられるゴミの処理です。どんどん改善されてきていますが、約15年前、上海に出張し列車で移動していた時、車掌さんが車内のごみを車窓から投げ捨てていました。「なんで捨てるの?」と聞くと「中国は広い!」と言われ流石度量が広いと納得してしまった事を覚えています。しかし、もうそんな時代じゃありません。ゴミの分別廃棄を図って、世界中で地球環境を守りたいものです。
⑫青島のご感想は?
⇒
青島は、山と海があり、また夏は湿気がないせいか日本より涼しく年間を通して快適に生活ができる所だ
と思います。すこし冬は寒いですが、3年も越冬すると慣れてきました。おそらく日本人の方々には違和感がない所ではないでしょうか?
⑬御社のPRを自由にどうぞ。
⇒
ライオングループは、創業以来の精神である「愛の精神の実践」を基本として「健康」、「快適」、「環境」
をキーワードとして中国国民の方々が健康で幸せな生活でできるように今後もより良い製品を提供できる
ような会社になることです。今後とも皆様方のご支援、ご指導をお願い致します。
⑭青島でビジネスをされている他の会社やそこで働く人達にメッセージをお願い致します。
⇒
同じ青島でお仕事をされている皆さまを尊敬しております。また、お互いに協力し合いながら皆さまが
公私ともに充実した生活を過ごせるよう願っております。
今後とも青島ライオンをよろしくお願い致します。

笠松 幹
大洋化学株式会社
紹興大洋塑料有限公司
1975年4月29日生まれ(和歌山県)
1997年 文教大学中国語中国文学科卒業
1998年 北方交通大学、北京語言学院 留学
2000年 帰国後、ニュージーランドへ1ヶ月留学
2001年 大洋化学株式会社入社後、中国へ駐在
2005年 帰国後、本社へ勤務、毎月約1週間ベースで中国へ出張
○中国及び青島に来られてどれぐらいですか?
現在は毎月出張ベースで中国に来ております。初めて中国に来たのは1995年、天津の南開大学に1ヶ月短期留学したのが始まりでして、その後長期留学を経て、2001年から2005年までの5年間は、浙江省上虞市、上海、杭州に駐在しておりました。青島には1999年に一度旅行できたことがあり、今年9月より青島に本社の青島営業所を開設致しました。
○中国及び青島に対する第一印象は?
青島は華中地区と違い、海鮮が豊富で美味しく、山と海の距離が近くまさにリゾート感覚です。
○青島に来て良かったこと&悪かったこと?
弊社中国会社は浙江省上虞市上浦鎮にあり、毎月ほぼ浙江省をベースとしての出張なので、すべてにおいて青島は新鮮なので、今のところまだまだ青島については無知で毎回青島に来るのを楽しみしている段階です。
○中国語はどれくらい勉強しましたか?
大学で学びましたが、生きた言葉は中国に来てから再勉強でした。北京で学校に通い、その後、いざ浙江省で仕事を始めた時、周りはすべて方言でしたので、まったく別の言語に思いました。数年聴いていると何となくわかってきますが、自分が話すのはいまだに困難であります。青島にも青島方言がありますが、まだまだ不明です。
○中国の方を見て、良いところ&悪いところは?
私が良いと思うところは、中国の方は内に秘めず主張し、会議や話し合いの中で意見の衝突をした直後でも、その話題が終わると普段通りの仲に戻ることですね。日本人はどちらかと言いますと後に引きますから……。悪いところは何と言っても面子重視なところや長期スパン,継続が苦手であるように思います。しかしその反面、すべてにおいて即行動即対応でスピードは日本よりはるかに速いと思います。
○中国の方を見て、日本人が見習なければならない点は?
親・家族を大切にするところや野心があるが上に一生懸命なところ、特に現在の日本の若者と中国の若者を比較した場合、物事に対する真剣さに相違があるように思う。
○こちらへ来て、何か自分の中で変わったことは?
中国に来てからは、許容・妥協・調和の連続で、柔軟な考えた方が出来るようになったように思います。
○中国料理についてどう思いますか?
中国には東西南北多種多様な料理があって、それぞれ個々に特徴がありおいしいと思っております。しかし近年、化学調味料の使用や農薬の多量な散布によって、素材本来と料理方法による美味さが減少してきているように思う。理解はしているのだけれども、屋台料理は衛生さや安全性を度外視して、ついつい買ってしまうほどの魅力がありますね
○貴氏の入社以来~青島までの経歴をお話しいただけますか?
大洋化学に入社と同時に中国での仕事でした。仕事自体が初めてだったので、右往左往しながら、実体験で学んでいきましたが、おもしろく充実した毎日でした。弊社は日本の本社も中国の会社もプラスチック会社のメーカーですが、取り扱い品は多種多様であります。私の業務は主に本社と中国会社と海外との関連における事柄です。これまで取り扱った内容は、加工,デリバリー・貿易,中国経理,中国総務,経営等いろんな経験をさせて頂いております。そんな中、青島営業所の開設があり、3ヶ月に一度のペースで青島に来るようになりました。
○青島での組織の中での青島公司での位置付はどのような立場ですか?
グローバルグループ事業部の海外戦略グループの管轄として、青島営業所があり、責任者は弊社の青島出身の男性が務めており、海外戦略グループを纏めるのが今の私の業務でもあります。
○御社のビジネス内容、人数等をお聞かせください。
大洋化学、紹興大洋塑料有限公司(大洋化学100%独資)共にプラスチックメーカーであり、取り扱い商品としては、大手企業のOEMから始まり、ユリア原料,コンパウンド事業,リサイクルPETを使用した再商品化,照明器具類(LEDを含む),麻雀卓,麻雀牌,圧縮袋,アクセサリービーズ,その他生活雑貨、と多種多様な商品を取り扱っております。2社合わせて約500名の従業員数です。弊社は1989年より中国に進出し、100%独資会社を設立。上海で7番目の外資企業の営業許可書を取得しました。2008年に上海の工場を紹興大洋と合併し、紹興大洋を拡大し、現在の形となりました。
○現在特に力を入れていることは何ですか?
中国国内販売拡大、日本・中国以外の海外への販路開拓を強化する方向にて、中国東北部への営業拠点に青島営業所を開設致しました。今回、ナビゲーター青島様の広告に掲載させて頂く全自動麻雀卓の販売にも取り組んでおります。
○今後の青島及び山東省経済の展望と御社のビジネス戦略は?
青島には港があり、輸出入も可能で、インフラ条件は揃ってきている環境にあると思われます。青島郊外は高層アパートやビルの建設ラッシュのようですし、地下鉄も建設中です。これからまさに消費者の購買の志向も変化して行くことでしょう。そこで日系企業での製造商品の販売の営業を強化していきたいと思っております。
○休みの日は何をされていますか?
上海に居たころは、ぶらぶらと写真を撮りに下町に出かけたりと、上海市内の東西南北いろんなところに探索に行っていました。今でもそうですが、中国の老房子やお寺などをモノクロやセピアで撮るのが好きです。
○愛読書、趣味は何ですか?
趣味は、旅行と写真ですが、数年前からゴルフを始め、練習に励んでいます。
○最後にナビゲーター読者にメッセージをお願いします。
郷に入っては郷に従えで、日本の観念をそのまま中国で使用しても通じませんし押しつけても浸透しないでしょう。やはり日本・中国の間を中庸の姿勢で臨むことも必要ではないかと思います。
また、読者の皆様で麻雀卓のご購入の予定があれば、ぜひ一度、弊社青島営業所の欒までご連絡頂ければと思います。

ご質問の回答 青島イオン 折口 史明
①御社の事業内容を読者の皆様に説明していただけますか?
弊社は、2012年1月2日現在、山東省に7店舗(2012年1/14開店の済寧店を入れると8店舗)を展開する、日本のイオングループの中国現地法人会社で、総合小売業を営んでいます。(従業員数3800名、2011年度営業収益20億元、日本人駐在員16名)
中国では現在、5つのイオンの総合小売業の事業会社(香港、シンセン、広州、北京、青島)および青島ミニストップ(現在30店舗)などのグループ企業があり2012年1月現在、80店舗を展開しております。)
②青島に会社を作られてどのくらいになりますか?そのきっかけは?青島の印象は?
今年で会社設立15年になります。
1998年1月に香港中路の第1号店(現在の東部店)を設立しました。設立のきっかけは、青島市政府より、中国小売業近代化の為に、当時、弊社会長の岡田(現名誉会長)に相談があり、いくつかの立地候補より現在1号店の立地を選んだそうです。
当時は、周りには何もなく、「よくこんなところに、こんな大きな店舗を作るもんだ」と揶揄されたそうです。現在では、駐車場も狭く、商業施設としても狭すぎるため、大幅な増床を政府に申請していますが、あらためて、この15年の中国の発展スピードの速さに驚くばかりです。(写真参考!)
今年は会社設立15周年の「節目」となる年ですので、地域のお客さまや歴代のお世話になった人たちをお招きし、秋には15周年記念式典を開催させていただく予定です。
③現在特に力を入れておられるビジネス分野はどのようなものでしょうか?
今、一番、力を入れているビジネスは本業である総合小売業の進化形開発と「新しい」商業施設(ショッピングセンター)の開発です。
中国の消費市場は確かに成長していますが、まだまだ真の意味での消費者にとっての「豊かさ」「楽しさ」は実現されていないと思います。
われわれは、小売業の果たすべき役割を「国民生活における真の豊かさの実現」と捉えています。
その意味においてわれわれはもっともっと進化し、変化していく必要があります。
たとえば、単に大きな企業であるとか、ブランド商品が並んでいるとか、商品が豊富であるとか、商業施設の環境が快適であるということだけで、消費者が商業施設や企業を選ぶ時代は早々に終わるでしょう。
従業員のホスピタリティをはじめ、企業としての姿勢(例えば地域貢献や環境への配慮、安全安心に対する正直さ)を消費者が正しく「評価」し、商業施設、企業を選ぶ時代が目の前に来ていると思います。
消費者から選択された企業のみが生き残り成長していく「本当の競争」がまもなく
中国の国内市場でも始まります。
われわれはアジアNo1小売業として「小売業の革新」を継続していきます。
④今までの仕事上で思い出深いものは何でしょうか?
昨年、12月、弊社が2008年から行っている社会貢献活動の一環として、中国海洋大学および青島大学へイオン奨学金の授与式典に行ってまいりました。(写真参考!)
山東省や地方から来られた経済的に恵まれない優秀な学生さんたちが、本当に目に涙を浮かべながら、「この奨学金のおかげで私たちは学業を続けることができます。しっかりと勉学に励み、卒業して、必ず社会に貢献できる人物になりたいと思います。」という姿には本当に感動しました。
「豊かになった」といわれる中国で、一張羅をまといながら、相部屋での寮生活を過ごし、将来への「夢」を必ず実現しようと頑張る若い彼らの姿こそが、今の中国の「躍動感」であり、国の成長を支える原動力でしょう。
私自身が3つの奨学金をもらいながら大学へ通った経験とも重なり、ぜひとも若く優秀な彼ら彼女らには、頑張ってもらいたいと思います。
中国海洋大学・青島大学からは、2005年より毎年、継続的に弊社へ採用を継続しています。2012年1月現在、累計では74名の優秀な方々に弊社で働いていただいています。
きっと近い将来、弊社の幹部経営者として成長してくれると確信しています。
⑤ビジネスを通じて今迄一番苦労されたこと、又、一番嬉しかったことは?
一番の苦労は、やはり対政府、対行政との交渉ですね。人治国家といわれる中国において人と人との繋がりを大切にすることはもちろんですが、中国には残念ながら「お客さま」の理論がなかなか通用しません。(日本も同じですが・・・)
もちろん、われわれイオンの手がける商業施設が、お客さまのものであるという「先進的な」意識をもった優秀な方も存在します。
しかし、われわれが企業理念として掲げる「お客さま第一」を実践の場において実現しようとするときには、かならず何らかの形で衝突します。
これを粘り強く交渉し、相手を納得、理解させ1つ1つ実現していくことが一番、やりがいがあり、骨が折れる仕事ですね!
青島へ来て、ずいぶんと白酒にも強くなりました!(笑い!)
⑥青島においてビジネス上一番大変(困難)なことは何でしょうか?
そんなに大変な事はないと思います。従業員にも恵まれていますし、周りの支えていただける方々 にも大変、恵まれています。
特に、青島は日本人会の「心」の繋がりが非常に強いと思います。
(大谷名誉会長、兼重会長のご精神だと思います!)
他の中国の地域での日本人会にくらべ小規模であることもあると思いますが、業種・業態を超えた、アットホームな感じがあります。
われわれ青島イオンも様々な場面で、公私ともにアドバイス・ヒントをいただき、非常に助けていただいています。
あえて大変な事をひとつ言えば、弊社の店舗を巡回する時の移動時間の長さです。
青島から最新店舗の済寧までは車で6時間かかります。(青島から約580Km!!!)従業員達の顔を見に行くのも一苦労です。離れた場所に店を作った自分たちの責任、自業自得なのですけどね!(笑い!)
⑦逆に、日本に比べて楽でベターと思われることは何でしょうか?
どこと比べて楽と言う考えは持っていません。どこでも楽をしようと思う人は楽をするのだと思います。但し、そういう人には大事なやりがいのある仕事は来ません。
私は常々、日本から派遣されている部下に言っています「君たちには日本と比べて、2つも3つもの役職を同時にやってもらわなければならない。日本よりはるかに困難で大変な仕事内容かも知れない。しかし、その中で自分自身が成長するために努力し、この状況をやりがいを持って、前向きに仕事をする人を評価する。大変だと考える
人間は日本に帰っても良い」と。
やはり、私は、困難な状況を「乗り越えていく」過程でこそ、人間としての成長があり、人間としての真価が発揮されると思います。
難しい課題はいっぱいありますが、社員たちや家族やお客さま、他のステイクホルダーのためにその課題を乗り越えながら「輝かしい未来を創造する」ことにチャレンジできる今の環境は、すばらしく、非常に「やりがい」を感じています。
⑧青島、山東省(中国)の経済展望をどのように予測しておられますか?
現在の中国済は既に調整局面に入っていると皆さんが感じていると思います。
特に、最近、不動産価格の下落に伴う「バブル崩壊」と格好のネタになっています。
しかしもともと、中国の経済成長の大部分は個人消費の拡大ではなく、投資+輸出が牽引してきたものですので、今の「調整局面」には驚いておりません。
不動産価格は「上がりすぎたものが元にもどる」だけであり、その意味で調整です。
マネーサプライの過剰流動性からくるインフレを抑制することは、国の安定をはかるための喫緊の課題であり、そのために中央政府は、今後も安易に「金融緩和」には踏み切れないでしょう。しばらくは、厳しい不安定な経済状態が続くと思います。
難しい課題ですが、中国はこの難題、持続的成長と社会の安定を「軟着陸」させるべく、今後も全力を尽くすでしょう。
今後、第12次5ヵ年計画の3つのポイントの中で中国が真っ先にあげている 「成長方式の転換」つまり、今までの輸出・投資主導の成長から消費主導の経済成長への切り替えが大きなカギになると考えます。
国民の生活を真に豊かにすることこそが、国の経済発展の中心になっていくのでありその意味において、いよいよ我々小売業の「出番」が来た!と実感しています。
⑨御社の今後の事業計画や展望を、差し支えない範囲でお聞かせ願えますか?
青島イオンとしては、今後も山東省内にどんどん店舗展開をしていきます。
2020年には山東省ですべての業態をあわせて380店舗体制を構築します。
また、青島イオンが中心となって今後、イオングループ企業がどんどん進出してきます。(例えば食品スーパーのマックスバリュやイオンクレジットサービス、イオンディライト、イオンファンタジー、イオンモールなど)
我々の夢は、中国山東省に「もうひとつのイオングループ」を創り上げることです。
⑩中国での生活面で、中国の良い点と改善するべき点は?
良い点は、食べ物がおいしい事。人間が暖かく親切である事。緑が多く環境がいいこと。バスやタク シーの料金が安いこと。ジャスコがあること???
改善点は、交通渋滞がすごい事。(北京・広州よりはマシですが・・・)
歩道がデコボコであること、早く地下鉄が開通することを期待します!
休日や時間帯によってタクシーがまったく捕まらないこと!!!(ほんと困ります!)
⑪中国料理は如何ですか?
青では特に海鮮系の中華がおいしいですね!
あさりや牡蠣、えび、黄花魚、牙片鱼の料理は青島ビールにもよく合います。
しかし、山東省の内陸部へ行くと、圧倒的に肉料理と野菜が中心になります。
山東菜は、おいしいのでついつい食べすぎ・飲みすぎで、青島に来てからまだ9ヶ月ですが体重が3Kgも増えてしまいました!
子供たちからも、お腹の贅肉をつままれながら「お父さんメタボ注意!」と警告?を
受けています!(笑い!)
⑫休日はどのように過ごされますか?
はずかしながら最近あまり休日が取れていませんが、休みのときは必ず家族で過ごします。台東や黄島、即墨、中山公園などでショッピングやおいしいものを探したり歴史名所を巡ったりしています。山東省はほんとうに歴史の宝庫ですね!
また、山登りが好きなので暖かくなったら(根性なしです!)崂山や泰山にも登ってみたいと思っています。
⑬御社の自社PRをどうぞ
弊社の経営理念は「お客様への貢献を全従業員の使命として山東省において最もお客様志向に徹する会社になる」ことです。この「お客様第一」の理念だけはどこの企業にも負けたくないと思っています。まだまだ未熟な企業ですが、皆様方のご支援・ご指導をよろしくお願いいたします。
⑭青島の日系企業、日本人や、そこで働く人たちにアドバイス、メッセージをお願い致します。
まだ、青島に来て9か月ですので、色々とアドバイスをお願いいたします。
また、海外でお仕事をされているお仲間として、皆様方を尊敬しております。
今後とも、青島イオンへのご愛顧・ご支援をよろしくお願いいたします。
1954年9月生まれ、陝西省西安市出身 西北工業大学工学部卒
1985年1月 日本国立滋賀大学経済学部経営管理研究院修士課程
1989年10月 日本大阪PEGASUSミシン製造株式会社入社、海外生産部、財務部、販売促進部、品質管理部に勤めた
1993年10月 天津独資会社の設立プロジェクトメンーバとして参画。
2001年6月 青島華桑科技有限公司を創立した
1. 日本で勉強や仕事かなりの年を過ごしたが、日本の事をどう思いますか。
1985年1月日本留学に行って、その後日本会社に14年間のサラリマンにして、あっという間に18年になりました。私にとって人生一番大切な時期が日本で過ごした。常に自分を指導した恩師及び沢山の友人、同僚を思い出して、心から感謝の気持ちを持ております。日本にいる日々には、学問知識だけ勉強したではなく、日中両国の文化、歴史、価値観、人生の観念、生活に対する態度などの違いもよく考える、よい所は中国も取入れるべき、もっと勉強すべき所は沢山あります。自分にとって大変勉強になりました、色々も経験しました。なによりも感じるのは中国と日本の違い、中国は何か物足りない事が分かりました。日本はアジアで一番進んでいる国で、中国にとって多くの技術や経験を学び必要があります、特に戦後日本の発展は中国人の殆どはよく分からない、その努力と真剣な精神が中国に必要だと思います。
2. いつ頃帰国と決心したのか。
中国経済の発展によって、多くの日系企業は中国に進出してきた、私は元会社の為天津で独資会社の設立プロジェクトに参加した、やはり中国のビジネスチャンスが多い、何よりも中国と日本の事がよく分かるので、これから色々事業の展開には有利なポイントだと思いました。当時微電コントロールのインバッタを中国製造出来ないので、この分野に開発製造販売の事業を展開したい、帰国の決心をしました。
3. 青島華桑科技有限公司の位置づけは何ですか、現在会社の状況と将来の発展はどう思いますか
青島華桑科技有限公司は2001年6月創業したが、最初自動コントロールのインパーダの開発、製造販売を目的で設立したが、国内の条件と資金の問題によって、会社の事業を国際貿易、人材派遣サービス、投資のコンサルタント業務、新技術や新製品の導入などを本業にした会社となりました。日中両国の渡し橋として役立つように努力してきた。人材派遣業務に関して、国家商務部に認可されて、ISO9001管理資格を得られて中国青島市政府の指導に基つぎ、日本向け研修生や技術者を派遣しています。日系企業に経営者、技術者にも紹介、派遣しています。中国経済の発展によって、世界との結びつきがますます緊密になり、近い将来、日本人も中国で技術の指導や働く事も増えるでしょう。弊社は国際的な人材派遣会社に目指して努力しています。
創業以来人材派遣サービスの業務につき、毎年日本に約100名の研修生と技術者を派遣しました。業種は水産加工、縫製業、食品加工、機械加工、溶接、ブラスチック製造、マシンニンクセンターのオペレータ、CAD機械製図技術者、プログラマーなどを含みます。人選から健康検査、日本語の教育及び日本の社会習慣、企業の理念、法律等の事前教育、日中両国の資料作成、研修生の引率、研修生トラブルの解決まで、全て責任を持って実行しました。他の派遣企業よりやはり自ら体験した日本の事、日本企業の文化理念、日本の社会ビジネスマナー等を実習生たちに教える、真実な日本、いい所悪い所全部教える。特に問題が発生した場合、直接企業と組合に通訳がいらない相談する、必要時すぐ日本へ飛んで行きます。多くの日本企業の信頼を受け取りました。
IT産業について、青島大学の協力によって、青島大学並びに青島地域のコンピュータ分野において、ソフト技術者の育成、ソフト製品の開発に力を入れています。同じ日本留学の経験を持つ私たちは日本語の教育にも重要視している。特に大連理工大学コンピュータ学部は日本会社と共同開発していた中国語の翻訳ソフトは既に日本市場に販売しています。
これから、青島華桑は今人材派遣を主な事業として行っているのですが、その他に、日本の新技術と新製品を積極的に取入れたいです、例えば環境関係のバイオ水処理事業、汚水処理、土壌修復、最新有機塗料、リッチュム電池技術などに注目して、既に上海の蘇州河、瀋陽の湖の修復に実績をあげました。これから日中両国に労働力だけの応援ではなく、事業にもビジネスにも応援の力を入れたいです。どうぞ、宜しくご協力賜わりますようお願い致します。
4. 青島は山東省で一番発展速度の速い都市ですが、帰国時と比べてどう変化しましたか。
青島市は綺麗な海の傍にある都市です、労働力も多く、中国の松下と言われる「HAIER」電気会社の本社所在地です。日本に近いし、交通は非常に便利です。東京、大阪、福岡に直行便があります、日本の下関に客船もあります。2008年オリピックは中国の北京で開かれました、青島は海上項目の開催地でした、インフラの建設も急スビッチで進んできました。日本の青島領事館も設置しました、日本人の来訪はますます便利になります。青島は電気製造、造船、高速列車の製造、港物流業、農業、漁業とも発達しており、商業と金融の発展も更に進んでいくでしょう。
青島は中国で有名な美しい都市です、しかも経済発展も速いです、帰国して10年間一番感じたのは高層ビルが多くなり、海も以前より綺麗になり、自動車も急に増えています、これからもっと素晴らしい都市になるでしょう。ただし、商業サービスは少し足りない、交通状況も海外より混乱しています、更にルールと施設の整備や規則の教育が必要です。例えば、交差点で道路の優先順位と一時停止の規則がないですから、非常に危ないと感じます。
5. 今の事業対して、何を期待しておりますか。
今の事業は人材派遣業ですが、中国豊かな労働力は少しずつ変化を行っている、より知識が必要、より技能が高い労働力を企業のニーズになります。中国の現状に合う人材会社の転換に期待しております。人材の育成、派遣以外に、国際貿易、新技術や製品の導入業務にも期待しています。
6. 仕事以外に何をやりますか
仕事以外に、歴史、芸術の本を読んだり、散歩やバトミント、卓球などスポーツも好きです。できれば、もっと時間を作って国内と海外旅行に行きたいです。
7. 将来的に何か計画がありますか
私にとって会社の事業を人材派遣以外に、国際貿易、環境保全水処理など事業を5年以内レールに乗せて、順調に発展させるのは今の望みです。将来の計画は出来る限り各分野に日中両国の友好交流に自分の力を貢献するように努力していきます。
8. 仕事中日本人と付き合い一番楽しみは何ですか
日本で長かった、いろいろな人と付き合って、日本人の真面目、勤勉と真剣さは私だけではなく、多くの在日中国人が認めている。言葉の支障がないので、外国人と思わない自由交流できますし、一生と付き合うつもりでの友人も何人かおります。お互いに色々な事を相談や交流して、よく勉強になります、これは一番楽しみだろうか。どの国の人は関係なし重要なのは心の交流だと思います。
インド洋から「めばちマグロ」43kg
いざ、解体!
TIME 11月12日
PLACE 日本料理 青柳
執行人 柳本料理長
少し冬めいてきた金曜日の宵にマグロの解体イベントがとりおこなわれました。日、中の多数の参会者や青島のマスコミQTV、チャンネル6の取材陣や日本人向け雑誌の取材者達も集まり、関心の高さがうかがえました。何はともあれ、プロ中のプロ―柳本さんにお話を伺いました。その一問一答です。
Q.このマグロは大きい方ですか?
A.いゃあー小さい方ですね。3~4年モノですかねー。
Q.これで、どれぐらいの値段ですか?言いにくいでしょうけどお願いします。
A.これで、だいたいkg100元ぐらいですねー。
Q.包丁は何本、使いますか?
A.今日は4本ですね。一番長いのは身を切る用です。出刃は皮を切る用です。
Q.全部、さばき終えるのにどれぐらい時間がかかりますか?
A.この大きさだと約30分もあればすみますね。
Q.一番難しいことは何ですか?
A.やはり、カマを切り落とすとことですね。あとは普通の魚をさばくのと基本的には同じですから。
Q.何人がかりでやるのが普通ですか?
A.2~3人ですかね。やっぱり重いので動かすのが大変です。
Q.今まで何回、解体をされましたか?
A.今日で2回目ですね。
Q.解体することの一番の醍醐味は?
A.やはり、豪快だということですね。でもやはり疲れますよ。(笑)
<取材後記>
まさにマグロと人間の「真剣勝負」でしたね。近くで見させていただいたのですが包丁で骨を切る音が聞こえてきてすごい迫力です。解体の最初の頃はザワザワしていたのですが、解体が佳境に入ったときには場内が一瞬シーンとして、そして最初の切り身が取り出されたときには一同より、拍手が沸き起こり、感動的な一瞬でした。解体が終盤に入り、最後の作業に入る前、柳本さんがフーッと大きく息を吐かれました。印象的なシーンでした。傍らで見ているよりもっともっと大変で集中力が必要な男の仕事だと痛感しましたね。柳本さん、お疲れ様でした。カッコ良かったですよ。懲りずに(笑)又、今回、見逃した人達のために解体イベントにトライしてください。どうもありがとうございました。




頑張ってる!!っ頑張りたいといつも願っています。
何を書こうか色々悩んだのですが・・・。自分自身のことを書こうとおもいます。いつも人と同じ事をするのが大嫌いで、心のどこかで母親と違う生き方をしたい。母がしてみたかったけど出来なかった生き方をしたい。そんな風に思っていました。母が嫌いなわけではないですよ・・ただ母がなんとなく、やりたい事がありながらも、結婚して、私たちを育てて、やりたいことを女性だから、あきらめてしまった、ううん出来なかった、ように見えたんです。時代の差だとおもいます。
私、実は日本にいる時は15年間理容師をやっていたんです。15年これで大体私の年齢はわかると思います。結婚もしていません。
私の父はサラリーマンで母は主婦(結婚前は幼稚の先生、その後はパートやったりしてました。)という家庭に育ち全く床屋さんなんて関係がなかったのですが、小学2年生の時に初めて美容室に行ってから、何でわからないのですが、美容師になりたい!!とず~~~~~と思っていました。
たぶんかっこよく見えたんでしょうね^^「この仕事に就いたらずっと綺麗でいられる、若くいられる。」子供ながらにそんなことも思っていました。が最大の理由は勉強が嫌いだったので、手に職付ければ、一生やっていけるとそんな風にも思っていました。
美容師になるはずが・・・高校生の時にアルバイトで友達の家の床屋さんでアルバイトを募集してるというので、始めたのがきっかけで理容の道を歩き出しました。この仕事華やかに見えて、実は実はとっても地味な仕事です。19歳で仕事を始めまして、遊びたい盛りに家と店だけの往復、睡眠時間は3,4時間。給料もあの当時はご恩と奉公なんていう言葉がまだあったぐらいで、12,3万で、家賃払って道具(鋏、その他)代払ってウィック代(人形の練習用)など払ったら、もう残りは無くて、よく父に泣きついていました。。。時間外に仕事をしても、残業代もないし、手当ても無い。昔はそんな感じでした。父はサラリーマンですからこの仕事はあまり理解できて無かったですね。
普通に会社に就職してしてくれたら良かったのにと、今でも言われます。理容師は大体みんな家も店をやっていて、東京で有名な先生の下で仕事をして、技術を覚えて自分の家に戻ります。私には店がありません、なので自分で店を持つ事が夢でした。それを実現できるチャンスもあったのですが、勤めていたお店が理容業界で少々名の知れた会社で、講師などをしていました。店と、理美容器具販売などしていて、3店舗ある中で一店舗の店長として店を任され、講習会などやって日本各地をめぐり、休みも無く仕事していました。それは実に楽しい毎日でした。自分の時間は無いのですが、仕事で各地を回り、その土地の風習や習慣を知り、その土地の人たちと出会い、学び、成長し理容師だけでは味わえないとても貴重な経験でした。店ではお客さんと「仕事でどこどこに行って、これを食べました。」とかそんな話もしていました。ですが、どっかで「何か違う??」と思う自分がいたのも確かです。独立か?このままか・・・。これだけでいいのかな??成長できるのかな??
疲れたのかもしれません。違うことがしたくなって、昔から好きで独学で韓国語を勉強していました。もっとちゃんと勉強がしたい。そう思い、韓国語の塾に通い始めました。そこには全く違う仕事の人たち、韓国人、自分の仕事とは違う人たちとの出会いで、自分が今までなんて狭い中で生きてきたんだろう。良いのか悪いのかわかりませんが、良い転機でした。韓国人とも恋愛し、外国に興味もちほんとに色々あって仕事をやめることにしました。そんな時彼が中国に転勤になり、私も行きたい!!結婚してないけどついて行きたい!!良いといってくれたんですが、今考えればしぶしぶOKしたのかもしれないです。ですが私は勢いだけで中国に来てしましいました。中国語は全く出来ません。英語もろくに・・・出来るといえばほんの少しの韓国語のみです。それも初級2程度です。どうする私?!そんなこんなで中国チンタオへ・・・留学しに来ました。中国語をまずは勉強して、友達もいないし、彼氏も中国に行く寸前に別れてしまい、頼るは自分のみです。ほんとにチンタオ空港に着いたあの日は今でも鮮明に覚えています。期待よりも不安の塊。夜は何でこんなところに来てしまったんだろう・・・・。と泣いてばかりいました。海外旅行は行った事はありますが、中国は旅行にも来た事も無く実は興味もありませんでした。ただ、チンタオは韓国人が多いから韓国語が使えるかも・・・。住みやすい。情報はそれだけ。来てびっくりしました。私の思っていた中国と全く違いました。チンタオ都会ですぷぷぷ。。。
何もかも初めてで毎日が発見で、中国すごい!!って本当に思いました。また中国語を勉強していくうちに、中国人ってすごい!!頭良いなぁ~~って、中国に対しての考えがすべて変わりました。もっと知りたいそんな願望と欲望!?が・・・。日本で大学に行っていない私はまたここでいろんな人と出会いました。この歳で韓国人の留学生と(みんな21,2歳)一緒に遊びクラブに行って踊って・・・お酒飲んで・・・初めての大学生ライフ、すごい楽しです。大学って勉強はもちろん、人にめぐり逢う為にあるんじゃないかって思うぐらい、いろんな人に会い、良い出会いがありました。留学先の大学で二つ年上の女性と出会い、彼女の生き方や考え方が、とても好きで、中国語も一緒に勉強し、彼女との出会いも私にとっては素晴らしい出会いでした。ここに来ていなければ出会えなかったと思うと、人の縁というのは面白いものです。そして日本語学科の学生達や韓国人留学生との出会い。日本で大学を卒業していたら、それはそれでここよりもいっぱい友達が出来ていたのでしょう。でももし二十歳の時に普通に大学行ってたらわからなかったのではないか?今この歳だから、わかる事もある。そして韓国語が少しでも話せることで、心から仲良くできる友達が出来ました。私は韓国の人の心の温かさが大好きです。ちゃんと向き合って言いたいことを言い合い喧嘩もするけど、それが仲良くなるための必要なものと彼らは考えています。仲良くなったらひとつの布団で女同士でも抱き合って!?寝る。外を歩く時は必ず腕組んで歩く、学校で会えば抱き合いお互いに寄り添い、人のぬくもりをいつも感じながらいる習慣。正直私もこの生活が習慣になっていて、今彼らとの生活が無くなったら、すごくさびしいです。日本人には無い習慣なので、前日本に帰った時に、思わず友達に腕組んだらびっくりされてしまいました。韓国の人達は家族を大事にし、ぬくもりを大事にする。
中国の人のはっきり良い悪いを言う習慣も好きです。生活習慣も良い意味でゆったりしていて、仕事も生活も私にとってはあっている気がします。そしてこんな私に今住んでるアパートの阿姨が日本人の私に声かけてくれて、一緒に食事しよう!!心が温かい人達で感動しました。
そしてまたまた可笑しな出会いで、今アルバイトですが、仕事もしています。その会社の社員はすべて中国人で、日本人は私だけ
それも色々なご縁で私に仕事が回ってきたのです。不思議でした。中国に来る前はこんな事は予想もしていなかったのですが、
予想もしていなかったことが起こる事が、人生なのですね。。。チンタオに来て1年半色々な事がありました。出会った人すべてを書いたら書ききれません。(笑)出会いは別れの始まりとは言いますが、人に出会えるって素晴らしいことですね。まだまだ知らない事はたくさんあります。もっと勉強して、今度は日本も日本人が素晴らしいということも違う国の人達に伝えていけるように、良い出会いをするために頑張って生きたいと思います。いい歳ですが、後もう少し頑張ってみます!!
読んで頂いた皆さんありがとうございます。女性も負けずに頑張るぞ^^




青島へ来て3度目の冬です。これを皆様が読んでくださっている頃は寒さは和らぎ、もう春が目の前というところでしょうか。
このコーナー名に少々かまえてしまって、なかなか文章が書けずにいます。「大和撫子」・・・。うーん。・・・ま、日本人であり女性であることには間違いないです。「頑張ってるわよ!!」・・・。うーん。・・・ま、海外で暮らしているだけでも、頑張っているといえるのでは。と無理やり自身を納得させて、とにかく、青島にて楽しく暮らす一個人として気楽に綴らせていただくことにします。
さて改めまして、前号の玉井真澄さんからバトンタッチしました山田美和です。大阪出身、歳は今年35です。09年の10月に単身で青島へ来て、こちらでの生活は3年目となりました。
仕事は・・・日本語を教えています。

人材派遣・紹介をする会社の全寮制研修施設にて、中国人研修生に日本語を教えています。現在は日本の企業での就職が決まっている大学新卒者に対し約10ヶ月間の赴任前集中研修を行っています。
プライベートは・・・結婚していません。彼氏もいません。剣道をしています。
わたしが生徒からよく聞かれる質問、’FAQトップ3’は、11結婚していますか」、2「じゃあ彼氏はいますか」3「趣味は何ですか」です。みなさんもよくご存知だと思いますが、中国人にとって、わたしのような歳でまだ結婚していないことは実に不思議(驚き)のようです。さらに「姉はわたしより3つ年上ですが、同じくまだ結婚していませんよ」と言うと、みんな目をクルクルさせて、もうそれはそれは反応が楽しいです。
趣味としては、今は最近始めた剣道を一番に挙げます。中学時代に少し経験していたことと、生徒との話題性もあると思ったので昨年10月に始め、現在は剣道会の練習に週に2度ほど参加させていただいています。(お問い合わせは広告欄を参照ください。)その他の時間は生徒が食事に誘ってくれたり、山登りに連れて行ってくれたり、また先日はビリヤードをしに行ったりと、(家族や彼氏がいなくても)なかなか充実しています。
中国語は・・・全くダメです。

一人でタクシーに乗るときは常に行き先のメモと地図をにぎりしめ、運転手にいつでも示せるよう迷わず助手席へ乗り込みます。それでも「ニーハオ」、「シェーシェー」レベルの来青当時と比べると多少の語彙は増えているのでしょうが、生活の中で具体的に可能になったことといえば、路上市場で買い物の際に物の値段がきけるようになった(交渉は無理)ことくらいしか思いつきません。普段のコミュニケーションはもっぱら笑顔と指差しを駆使しております。
不便を感じながらも、なぜいつまでも中国語を勉強しようとしないのか。いつもわたしが使う言い訳は2つです。ひとつは仕事では中国語が必要ないこと、もうひとつはこの不便さに慣れてしまったこと、です。今の職場でのほとんどの人間は日本語がわかります。日本で生活した経験のある者も多く、会議を行う場合も必ず日本語での説明が同時にされます。生徒には日本語で話すことを当然としていますので、この職場では中国語がわからなくても問題ないのです。ありがたいことに私用でも例えば銀行へ行ったり、航空券を取ったりといったことも手伝ってくれます。それでもやはり不便なことはたくさんありますが、わたしが個人的にそれに慣れてしまっていることが最大の原因だと思っています。青島に来るまで、わたしは過去に海外で住んだ経験があります。小学校の時には父の仕事の関係で中南米、その後は留学でアメリカ。そんな中で、上に述べた「笑顔と指差しで何とかなる」ことを学んでしまいました。あとあえて必要なのは度胸くらいでしょうか。笑
こんなわたしでも、やはりせっかく中国にいるのですから、多少はマスターしたいと思っていないこともないです。確か今年の抱負として「中国語をちゃんと勉強する」といったようなことを決めたような記憶もあります。・・・今年はまだ始まったばかりです。これから頑張ります。
住まいは・・・市南区の西の外れにあります。
青島列車駅のある旧市街地より更に西、黄島へ渡すフェリー乗り場に程近いところに住んでいます。あるいはバス停名で、団島・西鎮・轮渡というとわかりやすい方がおられるかもしれません。ここは市街地とは違い、ただし田舎の農村部ともまた全然違う雰囲気です。古い建物が多くてうすら汚い、というのがわたしの最初の印象ですが、住めば都とはよく言ったもので、現在は何の違和感もなく暮らしています。この辺りのことを皆さんにイメージしていただくためには、歩道の使われ方を説明するのが早いと思います。市街地でも歩行者用スペースに物売りが好き勝手な場所にシートを広げて店を出しているのをよくみますね。音楽の演奏をする人がいたり。邪魔だなーと思われることもあると思いますが、日本でも場所によってはよく見るものでし、それらはあくまで通行人を対象とした、歩行者の存在を意識したものです。しかしここではそれだけではありません。「歩道」=周辺住人の生活の場、リクリエーションの場、仕事場などとなっています。通行人のことを一切考えず堂々と家庭の洗濯物が干され、そこからは水がしたたり落ちています。将棋台を囲む人だかり、レストランの前で食材の鶏の羽をむしる人、焚き木をする人(生活のお湯を沸かすため)、放し飼いにされた鶏、犬、猫、ダイニング一式を広げてトランプゲームや宴会をする人たち、趣味の(?)カラオケをする人などがあちこちにいます。中でもびっくりしたのは青空散髪屋さんです。白衣を着た女性がパイプ椅子の横で立って、客を待ちます。落ちる髪の毛は意図的に掃除されることなく、風という自然がきれいにしてくれます。ちなみに料金は5、6元だそうです。わたしはここへ来て、それらをよけて通ったり、すこし立ち止まって見物したりしながら目的地へ向かうことが普通になりました。
以前、両親が青島に遊びに来てこの辺りを案内しました。その際の母の反応は「こんなところに住んでいるなんて信じられない」でした。また、この辺りを知っている中国人には「どうしてそんなところに(日本人が)住んでいるのか」という質問をよくされます。確かに衛生面でもよくないし、普通イメージされる「外国人が住む場所」とは違います。理由はただ会社に提供してもらっている寮がここにあるからです。しかし今ではただそれだけではなく、とにかくわたしにとって刺激的で「おもしろい」のです。
最後に、総体的に今青島での生活は・・・楽しい、の一言で充分です。皆さまはいかがでしょうか?
ではそろそろ次の大和撫子さんにバトンタッチして、今度は彼女の青島での生活について聞いてみましょう。皆さん、次号をお楽しみに~。」

皆様、初めまして。日本語教師をしてます工藤と申します。
青島生活はまだ7ヶ月と日は浅いですが中国生活はあれこれ合わせると7年近くになります。場所は北京以外全て山東省内で聊城、済南、濰坊で暮らしたことがあります。山東人は素朴で人付き合いがストレート、お酒好きならあっという間に飲み友達になれてしまう親しみやすさがあり、そんな気質を私は気に入っています。今回はこの場をお借りして印象に残っているある女の子のエピソードを紹介させていただきます。どうぞご覧下さい。
那,开始吧♪
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
私が初めて中国に来た時の目的は旅行、ビジネス、.語学勉強のどれでもなく、グルメや伝統文化などの観光体験でもなかった。(さて、他に何がある!?)
時は今から十数年前、地元札幌でIT関係の仕事をしていた私は前から周りに公言していた夢を実現するため退職した。その夢は「中国へ行くこと」だった。
「はあ?」「何で?」
話を聞いた誰もが最初は同じ反応だった。
今でこそアジア旅行は手軽でメジャーだけれど当時は旅行といえばヨーロッパやハワイなどの南国が定番で、小さな書店では中国のガイドブックは本棚に1,2冊だけのお店もあったマイナーな時代。車道か歩道かわからない幅の広い路を走る自転車の大群や人民服を来たおじいちゃん、三つ編み姿の女性が当時の中国イメージ。そこにレッツゴーチャイナ!と言うのだからはあ?と言われるのも無理はない。
姉は「これから中国の時代が来る」と自信満々に言いつつ何の根拠もなくただの直感で話す妹にどうしてそこまで断言できるのか不思議で仕方ない様子。(そりゃそうだ!)私の目には中国が情熱や刺激の溢れる国に映った。生きる日々の実感がそこにあるような気もした。いつか中国へ行って中国人に交わり一般の庶民と同じ物を食べ、日本と違う環境で生活してみたい!つまりそれはホームステイが目的だった。
しかしホームステイ制度が見当たらない。そこで留学制度を利用して、学校選びの条件はとにかく日本人が全くいないところで田舎を探した。そして聊城という理想の(あの頃はド田舎な)町に出会った。その年の留学生人数は5人、全て日本人。クラスは2クラスで初級は私ともう一人の2人のみ、授業はほぼマンツーマン状態だった。教室を出ると外国人というだけで物珍しそうに「ハロー」と声を掛ける人が何人もいて驚いた。その視線や注目はちょっとした芸能人になった気分。
そんなある日、学内にあるレストランの前を通ると中から二十歳前後のウエイトレスが声を掛けてきた。「あなた留学生でしょ?一緒に写真を撮りたいんだけどいい?」レストランは昼過ぎで休憩時間に入っている。OKすると腕を引っ張られ奥にあった椅子に座らされ、そこには他にも沢山のウエイトレス。ドアが閉まり集合写真の撮影会状態。次々人が集まり押し合いへし合いハイチーズ。続いて2ショット写真の撮影会が始まりなかなか終わる気配がない。もしかしたらこのままこの部屋から出られないのではと少し恐怖を感じた矢先、ドアが開いたのでほっとした。(芸能人って大変!)
中国の人の熱烈ぶりに驚いた1コマだったけれどこれはまだ序の口。入り口で声を掛けたウエイトレスの子(仮名:張さん)は私の名前を知ると見かけるたびに声を掛けてきた。日本から一人中国へ来たことに感心しては「很厉害」と言った。しかしこの言葉に2つの意味があることを知らず私は悪い意味で解釈していた。だからなぜ日本から一人中国に来て酷いと言うのか頭は「???」。「很厉害?」(酷いの?)ときくと首を縦に振って熱心に「很厉害」と言う。凄いと褒めているとは知らずややショック。酷い理由が何でも面と向かって言われるとキツーイ。話の大半は何を言っているのかわからず、張さんは張さんでそれでも言い方を変えて何とか意思を伝えようとしていた。「ただ友だちになりたい。どうか信じて欲しい」熱意は伝わるのだけど何を言っているのかわからなずぽかんとする私に肝をやいているのがわかった。
それから程なく手紙をくれるようになった。始めは1枚だったのが貰うたびに枚数が増えていき、最後は5枚ほどになった。しかもびっしり中国語(授業の宿題より多い)。やっと簡単なフレーズが言えるようになった段階の私の語学力ではいくら辞書を引いても全部訳せるとは思えずお手上げ。そこで留学生仲間に翻訳をお願いすることにした。そこでようやく張さんの言う「厉害」の意味を知った。(そうか、褒めてくれていたのか!)
手紙は『私なら一人で海外に出るなんて無理』が途中から、『私も見習おうと思う』になり、そして『昔の夢だった看護婦を目指す』と変化していった。
そしてあとは友だちになりたい気持ちが段々情熱的な文章で書かれるようになった。翻訳を手伝ってくれた友だちは最後「これってもうファンレターだよ」と目を丸くした。(ファンレター……私は宝塚ジェンヌ気分でいい?)
気づいた時、張さんの姿はなくなんと北京にいた。数カ月後一通の手紙が届き、本人の写真が同封されていた。手紙には看護婦の勉強をしていると近況が書かれてあった。
なんていう行動力なんだろう。レストランで働いていたあの子が北京まで行って看護系学校に入るとは相当の勇気と覚悟が必要で私が海外に出るなんてことよりももしかしたらもっと大変なことなのかもしれない。その後、張さんが看護婦になれたのか、どこにいるのか何も知らずわからない。どうしているだろうか。同じ空の下、夢をかなえていたらいいなと思う。
みなさん、初めまして。井上智美さんから紹介していただいた、玉井真澄です。青島に来て、早8年。青島のめまぐるしい変化にただただ驚くばかりです。1997年に旅行で訪れたときは、舗装されていない道路も多く、今のようなきらびやかなお店などもなかった青島ですが、今や生活に何不自由ない大都市へと大きく変わりました。
≪家族構成≫
私は2005年に山東省日照市出身の主人と結婚し、2007年青島で長女を出産しました。検査で妊娠していることが分かり、その場でお医者さんに「で、いるの?いらないの?」と無愛想に言われた時は、さすがにムッときましたが、それからのほぼプライバシーのない定期検診にもだんだんと慣れ、出産までスムーズに行きました。その長女も今は幼稚園の年中組、中国語を上手に操ってます。「お母さん、そんなんじゃ駄目でしょ!」と逆に叱られることもしばしば…。
≪マイホーム≫
中国では男性は、家を持っていないとなかなか結婚できないと言われます。(今では、プラス車だそうですが…。)ですから、男性自身はもちろん、男の子を持つ親のプレッシャーは大変なものだと思います。日本人の私にとっては、結婚する際、家はあってもなくてもどうでもよかったのですが、やはり「面子」でしょうか、うちの主人も「家を買ってからじゃないと、結婚できない!」と、中古ながらも「マイホーム」を購入しました。その家は、立地的には最高だったのですが、一階がカラオケ屋さんで、もちろん(?)防音対策もされておらず、夜中まで酔っ払いの大合唱、ときどきアカペラオンステージ、出産直後の私には耐えられないものでした。ですから、その家をすぐさま売りに出し、私たちはまだ生後3カ月の娘を連れて、他に部屋を借り、引っ越ししました。そこには3年ほどいましたが、再度「マイホーム」購入を決定。しかし、そこからが大変でした。こちらでは、内装から自分でやらなければなりません。内装業者探しから、資材調達、現場監督(手を抜いていないか見張る)まで、仕事の合間を縫ってしなければなりません。ま、私はほぼ主人任せでしたが…。主人は「もう二度としたくない!」と嘆いておりました。
そんな我が家も少しずつ私好みの感じになってきています。マンションの管理会社も24時間体制でサポートしてくれるので、非常に気持ちよく生活できています。もう少し、中心に近ければ、言うことないのですが。ちなみに、現地の若い人には、依然のような豪華な内装よりもカントリー風の自然体の内装が人気があるようですよ。
≪仕事≫
永住組の一員である私ですが、娘の出産時に2年ほど休んだ以外は、ずっと日本語教師として働いています。出産までは、語学学校や大学を転々としてきましたが、現在は青島にある日系人材派遣会社の教育部に籍を置き、日本派遣を希望する機械専攻の大学3,4年生に日本語を教えています。授業は大学内の教室で行っているので、中国の大学生の生活がよくわかります。彼らは大学内の寮に住み、毎日寮と教室の往復です。4年の前期までは朝8時から夕方まで授業がぎっしり詰まっており、授業後も教室で自習、土日も教室で自習をしています。ですから、「昨日何をしましたか?」と質問しても、「勉強しました。」という答えばかりが返ってきて、なかなか話が広がりません。しかし、専攻の勉強と日本語の勉強を両立させている彼らの勤勉さと根気強さには本当に関心しっぱなしです。そして私が何よりも好きなのは、彼らの純朴さです。「きれいな女の人」、「ハンサムな男の人」という言葉が出るだけで、キャッキャキャッキャする学生たち…。私にもそんな時期があったのかどうか、今となっては思い出せませんが、そういう光景を見るたびにほんわかとした気持ちになります。
中国には、9月10日に「教師節」があり、その日先生たちは学生から感謝され、花束などのプレゼントをもらったりします。私ももう何度も経験してきましたが、やはり感謝されるのは気持がいいものです。また、「明日からまた頑張ろう」という新たな気持ちにもなれます。日本にもこういう日があるといいなあと思います。
日本語教師という仕事は、授業以外にも授業の準備、宿題添削などにたくさん時間を費やす仕事です。寝る時間や休みを削って仕事をなさっている現役日本語教師の方々もたくさんいらっしゃると思います。でも、学生からの「ありがとうございます。」という一言、「先生の授業を受けてから、日本語の勉強が好きになりました。」という一言で、その苦労も一気に吹き飛びます。そして、「あいうえお」から始まった学生が日本語で面接が受けられるようになるまでに成長した姿を見ると、本当に教師冥利につきます。ですから、この仕事はなかなかやめられないのです。
中国で働いていて、いいなあと思うのは、子供がいる女性にも寛大なところです。娘が1歳9カ月のときに今の会社に入ったのですが、始めの2年ほどは娘が熱を出して仕事を休んだり、幼稚園のお迎えの時間の関係で早退することが頻繁にありました。そのたびに、上司(中国人)は「大丈夫です。こちらのことは心配しないでください。」と優しい言葉をかけてくださいました。そして、一年に一回、夏休みに日本へ長期(1カ月)で帰りたいという私のわがままにも応えてくださっています。
この異国の地で、素晴らしい同僚と学生たちに囲まれ、夢でもあった日本語教師の仕事を楽しくやらせていただいてる私は、とても幸せだと思います。小さい子供がいながらも、ここまで仕事を続けてこられたのは、会社や学生たちの理解のおかげです。この場を借りて、感謝を申し上げたいと思います。
さてさて、中国生活がトータルで10年目を迎える今年、大きな変化が起こる年になりそうです。そして、自分を見つめ直すいい機会にもなると思います。やはり、人生にはよくも悪くも「変化」が必要なのかもしれません。何だか意味深な終わり方になってしまいましたが、皆様にとっても今年2012年が充実した、素晴らしい年となりますように願っております。
それでは、次は青島3年目の山田美和さんへバトンタッチ!
こんにちは。大和撫子、井上智美です。我が家のパソコン、何度変換しても“山とナデシコ”になってびっくりですが・・大丈夫、私、大和撫子です。
そんな撫子の自己紹介を簡単に。
2004年1月末、“体育館!?”という感じの旧青島空港に上陸したのが私の青島生活の始まりです。それから、先月号深代さんのご紹介通り、この地で主人と出会い、結婚式を挙げ、長男・次男を出産しました。私の人生における大きな出来事のほとんどをここ青島で経験していることになります。
子供の頃から転勤が多かった私、ちょっと“故郷”なるものに憧れていました。
青島はなんかもう、私の憧れのその“故郷”なんだと思います。

「なれそめ」
深代さんご依頼のなれそめ。実は当初、私は主人が苦手でした。初対面時、私の大学での専攻の話になり、書道ゼミと知った途端、主人とお友達T先生に専門なら王羲之の“羲”という字、“義”じゃなく難しい方の“羲”が書けるはずだと書かされました。その後も書道の話題で盛り上がる二人。その知識の広いこと。あちらは至って気楽に盛り上がっていたのですが、私は必死に書道に関する知識を思い出し、掻き集め、テスト並みの緊張を強いられたわけです。楽しめないわけです。 “燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや”の鴻鵠ってこういう人達を比喩するのだろう、今必死に頭をフル回転させている私は燕雀の極みなのだろう、とこの時の印象が強烈で。後に、主人のように悠々と高みを飛ぶような人になって欲しいと、子どもの名付け候補に“鴻”を入れました。結果本当に“鴻”となった長男くん。飛んでくれるかなぁ。ちなみに孔融から名前を頂いた次男ですが、大きい梨を譲るどころか兄のを奪って食べてます。4歳になったら譲れるようになるのでしょうか・・。話が飛びました・・。

苦手だった主人と結婚と相成ったのは、「登山」です。山東省の世界遺産、泰山。ずっと登ってみたいといっていた私を、昔のルームメートが、国慶節に彼氏と行くから一緒にと誘ってくれたのです。お友達カップル+お友達の彼氏の友達カップル+私、今ならどう考えても“何で行っちゃったんだ私”って感じですが、念願の泰山だ!とうきうき汽車に乗りました。当時一人暮らしでダルメシアンを飼っていたのですが、旅行中預かってくれたのが主人。今思えば犬を預ける際、中国生活が長かった主人は「中国の登山は過酷だよ、特に若い人たちのはね」と非常に的確且つ思いやり溢れた忠告をしていてくれていました。聞いとけばよかった・・。それはそれはもう本当に過酷な登山で、午後三時泰安の駅から朝三時山頂着まで全部徒歩。元インドア派OLで初登山の私の荷物の中身はドライヤーやスキンケア用品など中国登山では無用で無駄に重いだけの代物が詰まっており、そんな中国人もビックリの大荷物を必死に担ぎ(中国カップルは彼氏が彼女の分も担ぐ)、唯一日本語可のお友達も疲れから日本語をしゃべってくれず、周りは真っ暗、おいて行かれたら死ぬ!という恐怖、そして山頂ではまさかの日の出まで寒空の下野宿!今まで経験したことのない状況に私は終始泣き通しでした。そこで心配して沢山電話をくれたのが主人でした。泰山、山頂まで電波は絶好調!この登山の過酷さは主人の想像すら凌駕していたようで、極限状態の中、電話から聞こえる母国語と、そして優しい言葉や励ましに、下山時には主人のことが大好きになっていました。もう早く逢いたくて逢いたくて泰山から主人の家に直行、それからつきあい始め、付き合って半年で結婚となりました。
「結婚」

私たちは日本と青島で式を挙げましたが今でもとっても印象的なのは青島の結婚式です。特に主人の教え子に集まってもらって銀都花園の庭で挙げた結婚式は本当に良い思い出です。神父役や紙吹雪を投げてくれる役、指輪を運んでくれる役など全て子供達にやってもらいました。個人的なお願いにも関わらず親御さんも皆喜んで協力してくださり、神父役の男の子は本当に神父さんのような衣装に辞書で作った手作りの聖書をもっていて、そのやさしさに感動しました。他にも子供達が書いた絵や、折り紙で作った指輪など、心のこもったかわいい贈り物も沢山頂きました。子供達や親御さんからお祝いの歌も歌って頂きました。今当時の式に参加してくれた子供達の大半は青島を離れ、月日の流れを感じます。でもあの式に参加してくれた子供達や親御さんの事は一生忘れません。こんなに素敵な式をさせてもらえたこと、今でもとても感謝しています。私の一生の自慢です。
そしてもう一つ、私にとって忘れられない事が。それは主人と付き合って間もない頃、青空の下沢山の子供達に囲まれて結婚式をしている映像と、主人と男の子の手を引いて海を散歩している映像が突然頭に浮かびました。結婚式の日、銀都に向かう車から空をみて、映像で見たのと同じその青空に鳥肌がたったのを覚えています。その後妊娠したのも男の子。きっと主人に対して何か感じる物があったんだろうと思います。これも一種のビビっと婚かな。なんだかビビっと来て交際半年のスピード婚、芸能人のニュースなら“この二人絶対別れるな”って感じですが・・。そこは「安きこと泰山の如し」で、どっしり構えていきましょう。中国の皇帝が封禅の儀式を行ってきた道教の聖地泰山、そんな泰山が縁での結婚のお陰か、優しい主人とかわいい子供達、そして暖かい青島の人達に囲まれ毎日とっても幸せに楽しく過ごしています。共に登山した彼女とも今ではママ友。そういえば散々な登山だったけど山頂で綺麗なご来光を拝めたんだっけ。ナンとまぁ縁起のよい!そういう意味では冒頭の“山とナデシコ”も、あながち誤変換ではないのかな・・・?これからも今までと変わらず、大好きなここ青島で楽しく幸せに過ごしていけたらと思います。
さて、山東省の世界遺産といえば泰山と曲阜。次は、曲阜が大好きで中国人のご主人と曲阜で出会われた玉井真澄さんを紹介したいと思います。うちに遊びに来て、日中英三カ国語買い揃えた絵本を手に取り「あぁ、やっぱり中国語が一番しっくりくる」発言には度肝をぬかれました!日本語じゃあ、ないんだね・・・。私も後どれくらい中国語と触れ合えば彼女レベルになれるのか・・。玉ちゃん、尊敬してます。というわけで次、宜しくお願いします!
消しゴムはんこ名人川田さんよりご紹介いただきました、男前!?丹森です。6人目にして、大和撫子の路線からずいぶん離れてしまいコーナー存続も危ぶまれるのではないかと危惧しております…ナビゲーターさん、大丈夫ですか?
何か特別なことをしているわけではなく、毎日3人の子育てに振り回されている平凡な主婦です。日本ほど整った環境とは言えないながらも、3人が日本人学校に通うまで大きくなりました。

(青島の人たち)
2005年9月青島にやってきました。そのとき長男4歳、長女2歳、次女は5ヶ月でした。幼稚園に行きたがらない長男、イヤイヤ真っ盛りの長女、ようやくお座りができるようになった次女を抱え、買い物にでるのも一苦労。子供のお友達つくりのため、毎日おんぶに抱っこで外遊びに出歩いて2週間、長男・長女が一緒に登園してくれるようになりました。子供のお友達つくりは、同時に私のお友達つくりにも役立ちました。幼稚園のこと、予防接種のこと、子供に関することはもちろん、青島生活・子育ての先輩たちがいろんなことを教えてくれました。そんなお友達のおかげで生活にも少し余裕が出てきたころ、冬がやってきました。私が来たばかりの頃の冬は今よりもずっと寒かったんです!日本では体感したことない寒さに、私は次女を連れての買い物・お出かけを断念して、アイさんを紹介してもらうことにしました。アイさんを探すにあったっても、大先輩がとってもいい人を紹介してくれました。今でも彼女は週3回、我が家に来てくれています。アイさんがいなかったら…「そんなのありえない!!」と思うほど、彼女には助けてもらっています。

(子供のけが・病気)
青島での医療、日本での安心感とは程遠いものがまだまだあるのではないでしょうか。ちょっと風邪を引いたくらいならいいのでしょうが…
<2007年春>香港旅行で長男が急性中耳炎にかかりました。鼻の調子が悪いときに飛行機に乗ったことで中耳炎になってしまうことがあるそうです。青島に戻った後、CT撮影するとほほの部分が真っ白、膿が詰まってしまったようです。「耳の後ろを切って吸い出し、1週間入院」と言われ、慌てて日本へ帰国。抗生物質の投与と、鼓膜にチューブを埋め込むこと(簡単な処置)で、戻ってきました。日本の耳鼻科で、中国の判断を話すと看護婦さんは「え~、時代遅れな…」と絶句していました。
<2008年大晦日>次女が手を洗っていて、足元の台がするっと滑ってあごから落ちて…「うぁ~ん」と泣いた彼女の口の中は真っ赤な血であふれていました。よく見ると舌がスパッと3センチほど切れていました。口の中のことなので、全身麻酔で処置しますと言われサインはするものの、「私が注意していればこんなことには…」処置室から泣き疲れてでてきた次女を見るまで涙が止まりませんでした。4針縫った傷口は、真っ黒な糸で縫われており見るだけで寒気がしました。ですが、子供の治癒力ってすごいんですね、1日目黒豆の煮汁しか飲めなかったのが、2日目にはみかん(薄皮なし)を食べ、3日目にはすでに痛みもなくほぼ普通の食事をしていました。
<2009年秋>お風呂に入っていると、長女の下腹が左右卵くらいの大きさでぷっくりとふくれていました。触ると水風船を触っている感触。病院で「ソケイヘルニア」の診断、何かあったときに処置しますと…ネットで調べてみると、日本では予防処置のための手術が一般的とあります。「何かあったときに、こちらでの手術はイヤ~」と、即帰国して受診。運よくキャンセルの枠があり、2泊3日での手術をしてもらうことに。が…入院手続きの前、タクシーから降りない長女。なんとかなだめて入院。手術の説明を何度もするも「手術イヤ」の一点張り。手術室に入るまで、大泣き・大暴れしていました…無事手術は終わり、一言「次は大丈夫、何するか分かったから!」って、私はもう二度とイヤです。
と、子供たちのけが・病気には注意していても予期しないことが起こるものです。
(お稽古事・テニス)

今まで青島でいろんな習い事をしてきました。中国語から始まり、中国結び・ビーズ・お茶・カンフー、恥ずかしながら私はどれも中途半端に終わっています。そんな中、唯一長続きしているのがテニス。もともと体を動かすことが好きだっただけに、楽しみなひと時となっています。パワフルなコーチのアドバイスの下、明るく楽しい仲間が一緒なのも、長続きの要因でしょうか…年に数回のゲーム大会は血液型対抗だったり、出身地別だったりとアイデア満載。さらに、「ハロウィンが近いから、仮装しよう!」なんて意見も出たりします。太い眉・真っ赤な頬のまま、テニスしましたよ。そんなおふざけばかりではありません、毎週の練習は楽しいながらも真剣そのもの。上手な人をお手本に、少しでも上達できたらと練習に励むのでした。

(これからの青島生活)
青島生活も7年目に突入します。子供たちが小さいころはお出かけもままなりませんでしたが、成長とともにそれも苦にならなくなってきた今日この頃です。青島観光もしないまま6年が過ぎましたので、少しずついろんなところに子供たちと行ってみようかと思っています。我が家の子供たちにとってはこの青島が「ふるさと」になるところですから…
次号は2010年に青島での2人目の出産を経験した深代美樹子さんをご紹介させていただきます。
大和撫子タイプには程遠い、この場に全くふさわしくない私ですが、この際気にせず私の過ごした3年半の青島生活を振り返ってみます。川田美都子

<青島>
忘れもしない2008年2月1日、私たち家族はここ青島にやってきました。
主人の前赴任地が山陰島根だったので、冬の寒さには慣れているつもりでいました・・・が、大陸の冬は想像を絶するものでした。それに追い討ちをかけるように、来て2日後ヌアンチが故障、そのまた3日後エアコンが故障、我が家で暖をとるものは人肌以外なくなってしまったのです!そして最悪なことに、時は春節休暇真っ只中!深夜の爆竹の爆音に耐えながら、辛く厳しい極寒生活を3週間ちかく続けました。心はすっかりささくれ立ち、ここへ来たことを本当に後悔していました。
しかし、子供の学校が始まり、生活も落ち着いてくると、そんな気持ちは一変しました。ここは日本人同士の助け合いの気持ちがとても強く、様々な場面で、困っている私を助けてくれる友達がたくさんいました。みんなの優しさが本当にありがたかったです。そうして私の青島大満喫期が幕を開けることになるのです。
当時、8月に開催されるオリンピックに向けて、町はあらゆるところで工事が行われていて、街の風景が日替わりで変化していくのを肌で感じました。今ではすっかり整備された麦島路ですが、そのころは、地べたにシートを敷いて魚介類を売るお店(?)が歩道いっぱいに軒を連ね、これぞ中国!といった風景が広がっていたことは、今では想像できないくらいです。
聖火が青島にやってきた日は、聖火ランナーが走る東海路には猫一匹入り込むことができないくらいの厳重警備網が張り巡らされていました。少しでも近くで聖火が見たくて、包囲網を突破しようと、3人の子供を連れていろんな裏道をさまよいましたが、無駄な努力でした。結局、高層階に住む友達の部屋の窓から見ることになりましたが、聖火をこの目で見たときは本当に感動しました。
<二胡>
中国に来て、様々な出会いがありましたが、そのなかのひとつに二胡があります。中国に来ることがなければ、私の人生でおそらく出会うことはなかったと思います。二胡の魅力は、2本の弦だけのシンプルな楽器にもかかわらず、人の心を癒す伸びのある音色です(残念ながら私の出す音色に癒し効果はありません)。始めて1年半経ちますが、それまで二胡の知識はほとんどなく、かろうじて女子十二楽坊を知っている程度でした。そんな私が今では、とってもチャーミングな老師との週1回のレッスンをとても楽しみにしています。日本に帰国しても続けていきたいと思っている趣味のひとつです。
<消しゴムはんこ>
その名の通り、消しゴムをカッターで彫って作ったはんこです。日本にいたとき、手芸好きな仲間たちと週に1度集まってはいろいろなものを手作りしていました。そのとき、友達に教えてもらって以来すっかりハマって、寝ても覚めても消しゴムを彫り続けました。気がつくととんでもない量のはんこが出来上がっていました。それからはそれをどう使うかという楽しみに変わりました。もともとミシンが大好きだったので、手作りの子供服やお弁当袋、ランチョンマットなどにぺたぺた押して、オリジナルグッズをたくさん作りました。子供に好評だったのは、ピカチュウやトーマスのはんこです。年賀状やクリスマスカードなども、はんこで手作りしていました。
消しゴムはんこの魅力は、簡単な図案なら子供でも出来るし、何といってもすぐに出来上がるところです。使い方もいろいろ。ここ青島でこんなにみなさんに興味をもってもらえるとは思ってもいませんでした。今でも時々、リクエストがあればレッスンしたり、オーダーメイドにお答えしたりしています。ときどき無理難題を言う方がいらして困ることもありますが・・・。(例:たこ焼きのはんこ…どうやってシルエットで表すの???)

<次回の大和撫子さん>
私にバトンタッチされた時点で、もはや大和撫子のコーナーではなくなってしまいましたが、次回はそのイメージからさらに遠ざかってしまうような、男前の丹森加津代さんを紹介します。(来月、タイトルが変わっていないことを祈ります。)何を隠そう、たこ焼きのはんこをオーダーした張本人です!
「お互い、同時に一目惚れでした!」
張さんが日本滞在中に火鍋(しゃぶしゃぶ)パーティーの席でお互い最初に出逢われた時のお二人のコトバです。
張さんは横浜商科大学時代を含め、10年間日本に滞在され、現在、主に中日ネット貿易のお仕事をされています。
「普段は日本語での会話ですが、たまにケンカしたとき、彼は青島弁の中国語を発します(笑)」とニコニコ顔の奥様は現在、日本語教師。大阪出身の浪花女でハッキリと何でもおっしゃります。
“国際結婚”だということで何か障壁はありましたかと向うと
「特に両方の両親から反対もなかったですね。二人を信用してくれていましたから」と張さん。
「法的手続きとかが繁雑でしたが、思ったより大変ではなかったです。でも通常の身体検査以外に子供を生める能力があるかなども調べられました…」と奥様。
「2~3年後には子供がほしいです。そしてそれまでに二人で世界各地の海の風景を見にゆきたいです」と二人で夢を語られます。
国際結婚を平穏に過ごしていくための秘訣のようなものは何ですか?の問いに
「妥協です。どこかやっぱり、お互いに譲り合わないと…。“外人粋”が必要です」と奥様、ハッキリと笑顔で。
「文化、教育、歴史、習慣等々が違うのですから、話し合って解決しています」と張さん。
奥様に、これだけは張さんにやめてほしいということはありますか?と問うと、
「お母さんに毎日、何回も電話することです。一回ですませてほしい。」
「僕は中国の一人っ子政策の犠牲者です(笑)」と張さん。
こんな話題でもお二人は息が合って明るく話されます。お似合いの夫婦ですね。
「来世でも一緒になりたい!」
「日本の関西にマイホームをもらいたい!」お二人のビジョンです。
最後にお二人にとって“青島”とはと問うと素晴らしいコトバいただきました。
張、岡本さん一家に“喝采”
「特別な場所です。私のふる里でもあり、大好きな友人達、大事な親戚のいる場所です」張さん。
奥さまは
「青島は今の私にとっては通過点の場所です。でも人生の最後に必ずここに戻ってきます!」
協力 李村 日本料理店 六本木
家族の肖像
ご主人 DANNY QIAN(54)/奥様LING(54)
息子さん chris (28) オーストラリア建築会社北京支店 建築家
「まあまあでした~(笑)」
初対面の最初の印象はお互いどうでしたかと聞いた時の奥さんの言葉です。(笑)
お二人は25歳同士の時、青島の海のそばの八大関で親の友達の紹介で、出逢われました。
ダニさんは「当時はまだまだ恋愛結婚が少ない時代で、お見合いでした。僕は一目惚れでした、だから第一回目の見合いで結婚したことになります(笑)」。3月3日が結婚記念日だそうです。でも1回もお祝いをしたことがないと聞き、来年30年目の記念日なので是非、お祝いをされたらというと「アドバイスありがとうございます(笑)」と奥様。
ダニーさん一家のストーリに避けて通れないのがニュージーランド(以下NZ)。
ダニーさんは95年頃、貿易会社に勤務されていて、NZによく出張で行き、気に入り。住みやすいところで息子教育にふさわしい場所だと移住を決意されたそうですが、しかし奥様は「もちろん反対しました。私は病院で管理職をしていましたし、お給料も良かったですし、それにNZに行ったら両親の面倒をきちんと見られないのがいやだったのです……。でも息子の教育環境が大事と思いました」。でもやはり何かとご苦労があったでしょうと問うと「本当に大変でした。一番辛かったのは友達がいなかったことですね。CAFÉ仕事ばっかりで友も作る暇もなくて……。でも何とか時間を作って学校も行き、免許もとって……主人はその時でもやさしい言葉をかけてくれなくて……辛かったですよ。でも今はもう怒っていません(笑)。貴重な修練、経験でした。子供の教育もきちっと出来ました。友達もできました。お互いを理解し合うことが大事だということもわかりました。」
来世でも一緒になりますか?
ご主人「もちろん!!」すぐにはっきり大きな声で。
奥様「いま、言えません!これからの主人の態度しだいですね!(笑)」
この答えに一同、大笑いでした。
メッセージはありますかと問うと奥様は「長年、働き住んだNZから帰ってきました。これからは青島にずっといます。両親を含めた家族の安定を願っています。そして、できたら忙しくしている息子と親子3人で少し旅をしたいです。息子もそれを願っています。」
「KIWI CAFÉをオープンして、1年間いろいろありました。多くの人に支えられて、感謝しています。これからもNZ料理、NZ文化を真面目に皆様にお伝えしてゆきたいです」とご主人。
最後にお互いにどうぞと問うと素晴らしい答えが返ってきました。ダニーさん一家に喝采!!!ご主人「いえ、いえ~~~特にありません(笑)」とこわごわでした。
奥様は「もっと私を見てください、私をもっと大事にして!!仕事ばっかりしてないで!!!(笑)」
DANNY QIAN先生今年54岁,和夫人林女士一起居住在青岛,现在经营这一家具有独特风味的新西兰特色咖啡厅。儿子今年28岁,在北京一家澳大利亚建筑公司做工程设计师。
DANNY先生与夫人最早在青岛的八大关海边相识,并在一起建立了美满和睦的家庭一直至今。两人虽然很和睦但是并没有在一起庆祝过结婚纪念日,不过马上就到结婚30周年了,所以夫妇都表示这次一定要好好庆祝一下。
最早去新西兰是DANNY先生的工作所需,之后林夫人辞去了中国的工作跟随DANNY到了新西兰,虽然舍不得这边的父母,但是为了能让孩子有个良好的教育环境,所以克服了语言和水土不服等种种困难,在新西兰一住就是许多年。现在在新西兰结交了许多朋友,孩子顺利的完成了学业,而且有了一份很好的工作,所以夫妇两人决定搬回故乡,可以更好的照顾家里的老人,百事孝为先,这是夫妇两人通过实际行动向大家展示了中国传统尊老爱幼的优良品德。
今后DANNY先生打算继续奇异咖啡做成更加人性化,更加吸引人的优质新西兰风格咖啡厅,为广大客户做出更好的服务。
八木武志(30歳) 幸子さん 瑞葵君(9ヶ月)
一家に喝采
「それが失敗のはじまりでした――――(笑)」
お二人のどちらからアタックしましたかの問いに奥様は私の方からですと正直に答えられた後の破顔一笑のコトバです。
その時、御主人はニコニコとされていました。八木さんは神戸、奥様は埼玉の所沢出身です。現在お二人は部署は違いますが軟脳離岸資源(青島)有限公司。ソフトブレーン・オフシュア株式会社で働いておられます。しかし、最初の出会いはソフトウェアパーク内で、「お互い隣同士の会社で働いていたので顔は知っていました……」そしてお二人とも音楽が好きで、仲間たちとバンドを結成、ご主人はベース、奥様はなんとドラム!すごいですね。
そしてその頃に急速に接近2010年2月にゴールインされました。
「僕は中国語よりもポルトガル語を一生懸命勉強していました。ブラジルに行きたかったんです――」とご主人...でも結果的には5年前に日本語教師として青島に来られました。奥様は日本の会社からの転勤という形で中国へ。
お互いにこれだけはやめてほしいというのがありますかとの問いに
「決めたことをやらないんですこの人は、そして朝寝坊」と奥様「ありません。よくやってくれています。ありがたいと思っています」とご主人。そしてやはりおニ人にとって瑞葵君のことがなによりも大事なこと。出産は日本でされたとのこと。
「やはり、いろいろな方からのお話をきいてこちらで出産するのは不安でした。勇気もなかったですね。だから、こちらで出産された方はすごいと思います。」
「やはり子供の体が一番心配です。病院関係のことが悩みです。気軽にいけるクリ二ックガあればいいですがー」
お二人共、青島はお好きだそうです。
「街が大きすぎず、小さすぎず、いろいろな意味で住んでいても苦にならない。それにこの中国ガ青島が今后、どのように変貌してゆくかの姿をここで見てゆきたいです」と異口同音におっしゃいます。
最後にお子様に望むことは何ですか?と問うと。素晴しい答えが返ってきました。八木さん一家に喝采!
「子供はのびのび育ってくれればいいかなあー」とご主人
奥様は「男の子なんでまわりの人を助けあげられるような器量の大きな子に育ってほしい!」

「青島の事は何も知らなかったし、不安が多かった。だから一生懸命頑張りました。」と宋さん(33)、家族亭と北海道亭の2つの店の店主です。
「すごく疲れましたけど、今、充実しています。うまく乗り越えられました。」奥様(32)も微笑みながらの言葉です。
開店して1年半になりましたが、ご苦労も多かったでしょと問うと、
「いつも二人で相談しあって、解決してきました」夫唱婦随ということばがこれほどお二人に似合うのは、出会って10年。途中宋さんが日本にいってしまって3年間の遠距離恋愛を経て3年前にやっとゴールインというせいなんですね。
お二人は仕事がら休日がないので2人でのショッピングが唯一の楽しみだそうです。
「店舗を増やしたい、大きくしたい、そして年をとったら二人で田舎へ戻って、野菜を作りたい、花も栽培したい」
「子供はもちろんほしいけど、もうしばらく安定してから」将来の夢を二人は異句同音におっしゃいます。
写真撮影があるということで、当日、奥様は隣のヘアーサロンでヘアーセット。向かいの化粧品店でメイク、全て、隣人達の好意で無料!すごいことですねと言うと「周りの人達が親切で家族みたいです。ありがたいです。」と。
最後、奥様に夫婦って家族って一言で言うと何なんですかねーと問うとしばらく考えてから素晴らしい言葉頂きました。宋さん一家に喝采!
「お互いを信じて、決して失ってはならないもの。」
家族の肖像 CHANTER 6
平松久(41)尼崎市出身 何茉琦 青島市出身 お子様 平松舜(10々月)
『いいんですけど、でも私は生まれ変わったら男になりたーい(笑)』
来世でも一緒になりますかとの問いに、本当に明るい奥様のコトバです。
お二人は、あの有名な柔道家、山下泰裕さんが外務省の方と一緒にきて日中友好のため、中日友好柔道館を設立、そこに平松さんが門下生としてかよっている時、奥様が青島柔道0協会の秘書していらしゃった関係で知り合われました。平松さんは現在、青島日本人学校の事務職をしていらっしゃいます。国際結婚ですけど、大変でしたかの問いに
平松久:『結納とかの中国語での対応ができなかったのでぼくは柔道館の副館長が日本語できたので助けていただき、家内は青島正璽国際貿易有限公司の曲瀟さんに助けてもらって、なんとかゴールインできました』
何茉琦:『私は家族全員が、映画やTVの影響で日本人は怖いというイメージと遠い場所だと認識があって、皆、不安がっていました。でも、うちのお婆ちゃんが、一度、私が会って見ると言ってくれ、会い、そして、映画でみている日本人じゃないから、大丈夫とOKをもらいました。(笑)
NAVI: 舜君が生まれてからのお二人の夢は?
平松久:『三人で、日本のディズニーランドに行きたいです!なぜなら新婚旅行がディズニーランドだったので』(笑)
NAVI: お互いに対して一言どうぞ。
何茉琦:『やさしい人ですよ、でも日本語を教えるときは厳しいです(笑)』
平松久:『明るいです、僕にとって‘太陽’です』
NAVI: なかなかいえないコトバですね、感激しました。舜君に何か希望は?
平松久:『三ヶ国語、話せるようになってほしいです』
何茉琦:『自分の人生なんだから、自分の力で幸せをつかむ子になってほしいです』
NAVI: 青島はどのような町ですか?
平松久:『私の子供の頃の尼崎にすごく似ています、私の実家は市場でして今住んでいる周りも市場があるんで…』
何茉琦:『好きな場所です、天気もよいですし、海鮮もおいしい。家族・親戚みんな青島です。』
NAVI: 最後に国際結婚について一言、お願いしますという問いに、素晴らしいコトバをいただきました。平松さん一家に喝采!!
平松久:『国際結婚は苦労が多いですが、楽しいことも多いです。チャンスがあれば皆さん、積極的に!』
何茉琦:『中国人と日本人の結婚は大丈夫です。ほんとの心とほんとの心がかよった結婚は幸せです!』
『僕達だって大人に負けませんよ~』
せっかく青島に来て勉強してるんですから、将来は何らかの形で、日中の架橋になりたいです
青島大学、中国語学院在籍中、、、
有井篤史(26歳)出身地 広島
三藤達也(20歳)出身地 広島
有居君は德山大学を卒業後就職、そして脱サラして青島に二年間の予定です。三藤君は下関市立大学の交換生という形で青島に一年間の予定です。両君にいろいろ聞いてみました。
Q : 青島に来て、同世代の人達のフアミョことかみてどういう印象ですか?
有居君: とにかく、女性のすっぴんの人が多いのでびっくりしました。
三藤君: オシャレな人が少いように思いました。みせ自体の数も少いので~~~
NAVI:こちらのブランドはまだ買ってないそうです、まだ三か月しか青島にいないのですからそうかもしれませんね。こちらでもニュクロで買い物したそうですが、これからはあちこち行って、よく見て、こちらの服を買って、見たいそうですよ。
Q : こちらの音楽はどうですか?気に入った曲はありますか?
有居君: 王力宏というひとの『依然爱你』が気に入ったのでCDを買いました。
NAVI:その唄、唄えますか?と聞くと『唄えません』(笑)でも歌詞カード見て練習して歌えるようにしますと!カラオケは月に一回ぐらい。二時間で30元ぐらいなのでそんなに高いとは思わないということだそうです。
Q :同級生、同大学の学生達に対する印象は?
有籐君 三藤君:こちの人は、本当勉強ばっかりしています。真面目でほとんど遊ばない。彼らぐらい勉強したら、我々もすぐ中国語を話せるようになると思います(笑)
Q :中国人のガールフレンドは出来ましたか?
有籐君 三藤君:2人共、日本にガールフレンドがいますので、そういうとはありません。
Q :休日は何をしていますか
有籐君 :バスを利用して青島探険しています、この間はベンドーのバスの旅をみて、城阳区まで行ってきました。
三藤君、買い物したり、街の散策をしています。
Q、中国語は上達していますか
三藤 有居君:とにかく苦戦しています。特に発音が非常にむずかしいです、でもがんばります。
Q、こちらで気に入った食べ物はありますか?
有居君:“紅焼茄子”が気に入ってます。すごくおいしいです。
三藤君:韓国料理で、鉄板で鶏肉と野菜をコチジャンなどの調味料でジュウジュウ焼く料理が好きです
Q、青島の印象は
有居君:霧の日が多くてびっくりしました。青空がみたっかたです。
三藤君:自分で想像していた中国像より、はるかに都会の雰囲気を持っているのに、驚きました。
Q、ナビゲーターの読者に一言どうぞ
有居君:僕は人生を変える為にここに来ています。自分にとって青島は自分を必ず変えてくれるはずの街です。
三藤君:将来はもっと中国語を勉強して、いつの日か日中両国に役立つ仕事ができたらと思っていますのでよろしくお願いします。
Q、最後に“若者”として青島の大人の人達に言いたいことがありますか。
有居君:ある中国料理のお店で、店の人と会話がうまくできず困っていた時に明らかに日本人の横のテーブルの人達がじーっと見ているだけで助けてくれようとしてくれなかった。そんな時は先輩として助けてくださいよ(笑)
三藤君:街中で、店で日本語が聞こえてくる時があります。がなかなかこちらから声をかける勇気がない時に、声をかけてもらったら嬉しいです。もっともっと交流したいです。
NABI 最後の質問にたいして両君はおだやかに話しくれたのですが、それは私には叫びに聞こえました。交流というコトバが発せられた時に実に重いコトバだと受け止めました。
青島日本人会社の中でもっともっと老若男女が交流していければ素晴らしい事ですね。気軽に声を掛け合いましょうよ!!
私だって、大人に負けませんよ~~~~~
土居聡美さん(22才)
広島県出身 A型 さそり座
北九州市立大学法学部卒
青島大学 語学留学中
何でもいいから、今は自分から積極的にしゃばっていかないとー!
N青島に来られたきっかけは何ですか?
両親が青島で会社経営されている蒙さんと知り合いで、昨年に一度、青島に遊ぶに来て気に入り、卒業後、中国語を勉強したくって、今年の3月4日に来ました。
学校生活はいかがですか?
楽しいです。クラスの友達がいい人ばっかりで、休み時間は、韓、仏、米国などの人たちと、共通語の英語でコミュニケーションしています。日本人は私だけで、中国語の心配ばっかししていたのに。
予想もしなかった英語が上達してしまいそうで・・・・・・。(笑)
あと、フランス人のグループの中にいる時は仏語が音楽のように感じられて、ハッピーな気分になります(笑)
青島の同世代の女性に対する印象は?
皆さん“すっぴん”でびっくりしました。
そして、想像してたよりも、オシャししていらっしゃると思います。
私も、こちらで、もう服を買いましたよ。気に入ったのがありました。
海信広場やマリーナミィティもいきますが、見るだけです(笑)
青島で好きな場所はどこですか
ジャスコのスターバックスです。唯一、日本と同じ味が体験できます(笑)
青島で気に入った食べ物はなんですか
まだ、来たばかりなので、これはすごーいという味に出あってないのです。時々、蒙さんの家で、ご馳走になる料理は美味しくて、好きです(笑)
趣味は何ですか
スノボーにはまっています。皆様。青島でできる場所があれば教えてくださあ~~い(笑)
青島で生活を始めて、気になったとは?
みんな車の運転が荒いように思います。交差点をわたるとき、いまでもコワイです。
将来の夢は何ですか?
小さい時は、そのつどいろんな夢をもっていました。パティシエ、介護士、社会保険労務士など、でも結局いまはなんなんだろー(大笑)
若者として、青島の日本人の大人達に何かいいたいことは?
もの申すことはございません(笑)
何でもいいです、NAVIの読者にメッセージを
この間、卒業式で三日間だけ、日本に帰りました。思いっきり泣いてしまいました。日本人の“ていねい”とかちょっとした気づかい、心づかいがすごいと改めて実感しました。
日本人として、その心は忘れないようにします。
こちらに来る時、来た時、すごい不安でした。言葉がしゃべれない自分がいやで、しんどくなって・・・・・・苦しくなって・・・・・・でも仲間達が、話しかけてきてくれたり、誘ってくれたりしてきてくれて、輪の中にいれてくれるんです。ありがたいなと思いました。
そんな友達がいなかったら、今頃、部屋から出ていません。(笑)
土居聪美小姐今年22岁,出生于广岛县,来青岛的契机是因为父母工作的关系。土居小姐的父母与贸促会的蒙先生是很好的朋友,经孟先生介绍,来到了青岛学习汉语。土居小姐非常喜欢在青岛的生活,班里的同学们也都很友好。和美国,法国等国家的朋友都用英语交流,结果英语变得比以前流利了不少(笑)
. 来中国后学习了很多东西,唯一坚持下来的是打网球,并从中得到了很多乐趣。
在中国的生活很自在,比较惊奇的是中国的女孩子平时都不怎么化妆,他很佩服中国女孩子的勇气。自己不化妆的话不不太敢出门。
土居小姐说现在感觉青岛已经是自己的第二个故乡,有时要离开中国的时候感到非常的伤心,非常不舍得。现在在中国有了很多的朋友,虽然中国和日本有很多不一样的地方,习俗也不同,但是还是很喜欢在中国的生活。
今后土居小姐表示要更加努力的学好汉语,尽自己的所能为日中友好关系做出自己的应有贡献。同时还想同想要来中国的朋友说:中国是个很有发展很有希望的国家,请不要害怕,勇敢的踏出自己的脚步吧。
私だって、大人に負けませんよ~~
私のお母さんみたいなお母さんになりたいです!
岡田 由加里(20歳)
山口県下関市出身
私立梅光学院大学
中国語学科在籍
現在青島大学中国語学院本科2年
NAVI: 青島に来たきっかけは何ですか?
由加里ちゃん:青島へは2011年の3月に来ました。あのー、梅光学院と青島大学は姉妹校で、交換留学生できているので、通常は1年なんですが、私の場合、学位を取る為に2年いる予定です。なぜなら、梅光学院大学で青島大学の学位をとった人はまだいないので初の快挙を成したげたいです!(笑)
NAVI: 友達やボーイフレンドはできましたか
由加里ちゃん:ボーイフレンドは募集中デース、国籍は問いません(笑)一人で生活していると、どんどん男化しているような気がして……守られたい願望があるのです。だれかお願いしまーす(笑)
NAVI: 同世代の中国の女性達の印象やファッションについてどう思いますか?
由加里ちゃん:メガネかけてる人が多く、ストレートの黒髪で一つに束ねているのが印象的です。でも、みんな、すっぴんでキレイで羨ましーい。(笑)服で言うと、赤とか黄とか原色が多いように思いますね、あと、パンツがほとんどでスカートをはかない、ワンピースをきない……風が強いからかなあー、青島は。でもこれが中国の女性達なのかなあ……?
NAVI: こちらの音楽や、TVドラマとかで好きなのはありますか。
由加里ちゃん:ないです。興味があまりないです。YOUKUで日本の音楽を聴いています、好きなのはAKB48です。
NAVI: 勉強の進み具合は、中国語は上達していますか?
由加里ちゃん:順調です。。。。。。多分(笑)学校には真面目に行っています。旧HSK8級を目指しています。
NAVI: なぜ由加里ちゃんにとって中国語だったんですか?
由加里ちゃん:下関の中等教育学校は6年間中国語と韓国語を学びます、高校からどちらかを選ぶんですが、私、ハングル文字が苦手だったので、中国語を選びました。そしたら、中国語がだんだん好きになって。。。。。。
NAVI: 青島で好きな場所は?
由加里ちゃん:珍味軒です。バイトが終わって、一人で行くのですが、そこに集まる人達が優しく、よくしていただけるので楽しいです。日本じゃなかなかお話できないおじさま達?との会話はいい機会だと思っています。
NAVI: あそこに集まる一筋縄でいかないおじさん達と楽しく会話できるなんて由加里ちゃん、ひょっとして、アナタは大物?(笑)
NAVI: 青島でお気に入りの食べ物は?
由加里ちゃん:‘韓国料理の土豆湯’です。大好き!
NAVI: こちらの同年代の若者達に対する印象は?
由加里ちゃん:こちらの若者は男女共肉食系の人が多いように思います。恋愛に限らず日本語学科の人達は目分の会話向上のため、どんどんアタックしてきます、その積極性を私も見習おうと思います。あと、道路や学校内でいちゃいちゃする人がとても多くて、目のやり場に困るう~(笑)
NAVI: 休日は何をしてますか?
由加里ちゃん:美容院にいったり、洋服をみにいったり、ネイルにいったり、映画を見たり、カフェでお茶をしたり。。。。。。あとはひたすら寝ています(笑)
NAVI: アルバイトとかしてますか?
由加里ちゃん:見聞録でしています、月水金働いています。皆さん来てくださ~~い!(笑)
NAVI: 将来の夢とか希望は何ですか?
由加里ちゃん:大雑把にゆうと、お母さんみたいなお母さんになりたい!そして日本語教師の資格をとって、青年海外協力隊に参加したいです。
NAVI: こちらの日本人の大人達に言いたいことはありますか?
由加里ちゃん:度をこえた下ネタはやめてください!!対応にこまるんでえ~~(笑)
NAVI: 最後に読者の方にメッセージがありましたら、なんでもどうぞお話ください。
由加里ちゃん:ある日、カフェでお茶してたら、スーツを着た日本人が二人で入ってきて、近くの席でいきなり下世話な話を大きな声で。。。。。。不愉快でした、正直いって、大人は汚いと思いました。ショックでした。こういう大人にはなりたくないから、私も自分自身、ちゃんとして気をつけようと思いました。あと、青島に来て、家族の存在が大きいことに気がつきました。初めての異国、初めての一人生活。送られてくる荷物の中に母からの手紙が。。。。。。いつも泣いてしまいます。今、貴重な体験をしています。成人式に帰ります!!青島は好きです!!すぐ帰ってきます!!(笑)
NAVI: いい大人達もいっぱい、いるんですけど、彼女の言葉に耳が痛い大人もいますね。困った困った。。。。。。由加里ちゃん素直に明るく、インタビューに応じてくれて、アリガトウ!
矢上百合恵(?才)さん
兵庫県西宮市出身 O型 山羊座
中国海洋大学2年生
“言葉が好きで、中国語は漢字だけで、それが綺麗に感じられるのです。”
A青島にきたきっかけは何ですか?
Q中国語を勉強する為です。最初青島に半年、そして上海に10ヶ月にいたんですが、やはり青島が居心地が良かったので帰って来まして、もう3年になります。英語はしゃべれたのですが、もう一ヶ国語を習得したかったのです。なぜ中国語かというと、世界で一番、多く、話されている言葉ですから(笑)
A友達やボーイフレンドはできましたか?
Q友人はたくさんできましたが、B.Fは今いません。募集中でーす(笑)日中どちらでも歓迎です。私のことが好きな人だったらいいです!(笑)
A同世代の中国の女性達の印象やファションについてどう思いますか
Qこちらも女性の人はほんと、スタイルのいい人が多く、美しく、肌もきれい、髪もきれいな人が多いんですが、ファションは時々?ですー。“やりすぎ”というのか、柄物と柄物をあわせるとか、ジーンズにスパンコールをつけるとかの人が多く、せっかくきれいなのにもったいないと思います。
Aこちらの音楽で気に入ったのはありますか?
Q林俊杰の曹操、原来、馬天宇の愛上你、王力宏の你不在。このあたりのうた、めっちゃ好きです。カラオケでも唄いますよ(笑)
A中国語はどうですか
Q日常生活では何の不自由もないようになりました。(笑)
でもわからないコトバを聞くと必ず意味をたずねて、理解するように努めています。
A青島で好きな場所は?
Q好和、kujikuji、あとは自分の部屋、猫と一緒デース。
お酒が好きなんです。小さい頃から、お父さんと晩酌してたからかなー(笑)
A青島で好きな食べ物は
Q冷製、老醋花生、これをあてにビール、最高!(笑)
Aこちらの同年代の若者達の印象は?
Qいい意味でも悪い意味でも自分を大事にしていると思います。自分の感情を隠さないように思います。そして向上心があると思います。
Aアルバイトとかしていますか?
Q竹若でバイトしています。皆さん、来てくださいね。意外とリーズナブルですよ(笑)あと、サッカークラブOSC(オジサンサッカークラブ)のマネージャーしています。メンバー募集中です。nacchanery@hotmail.comまで。
皆、素敵な仲間です、皆、大好きです。幸せです(笑)
A将来の夢とか希望は
Qお嫁さんになりたい!(笑)いろんなとこに行きたいです。夢や希望がありすぎで、整理しなくっちゃー(笑)
Aこちらの日本人の大人達に言いたいことはありますか
Qこちらの大人の皆様には、いつもお世話になって、感謝してもしきれません。コトバに表現できないほどです。ありがたいと思います。
A最後にメッセージがありますたら、どうぞ
Q寛大な両親の愛情のおかげで、いま、こうして、幸せにすごしています。感謝しています。実は私“引きこもり”なんです(笑)
そして、いつも私、生意気でごめんなさい、こんな私ですけど末長くよろしくお願いします。
这次采访的是矢上百合恵,海洋大学的大二留学生。她为了学习汉语而来到中国,在青岛已生活了三年多。非常喜欢青岛啤酒和老醋花生,也很喜欢好和等日本料理店。现在在竹若打工,很期待大家光临。在谈到对中国女生的印象时,她说中国女性具有非常好的先天条件,身材相貌都非常的出色,在穿衣搭配上跟日本略有不同。
汉语现在已经基本掌握了,日常生活完全没有问题,偶尔会有不理解的词汇出现,自己也一定会主动的学习。自己的梦想有很多,比如说嫁个好人家(笑)。在青岛受到了很多人的照顾,对他们表示由衷的感谢。同时也很感激自己通情达理的父母,有他们的支持才有我现在的幸福生活,以后也会继续努力,希望大家多多关照。

千紘ちゃん:テニスをすることです。今、子供のテニスクラブ、Iクラブに入っていて毎週土曜日、銀都のテニスコードで頑張ってまーす。
慧ちゃん: 塾の休み時間に、 UNOというカードゲームをします。カードの遊びでいじめることをした時の相手の反応を見るのが面白いです(笑)
N、青島で生活をしていて、なんか気になることは?
千紘ちゃん. 慧ちゃん:やはり、道端のゴミの多いのが気になります。あと、女の人の服装が少し変に思います、たとえばスパッツをそのままはいて、上からスカートとかをはかないのが。信じられない(笑)※やはり女性特有の観察ですねー。男ではそんなこと気がつきませんでした。
N、青島で一番好きな食物は何ですか?
千紘ちゃん. 慧ちゃん:鼎泰豊(ディンタイフォン)の小ロンポーとチャーハン(エビ&ポーク)です。
N、趣味は何ですか
千紘ちゃん:絵を描くことです、絵といってもマンガというかアニメっぽいものです(笑)
慧ちゃん: “嵐”というジャニーズ系のグループが大好きです。引出しの中に写真とか嵐の団扇なんかがいっぱいです(笑)、パソコンで唄を聞くのが楽しいです。
N、中国語はどうですか
千紘ちゃん:しゃべれないですねー、買い物とか食事にいくとか大丈夫なんですけどー、頑張って、覚えようとは思うんですけどー、なかなかねー(笑)
慧ちゃん: ペラペラです(笑)、生後三ヶ月目から上海で、そのあと、ずーっと中国ですので。
N、好きなアニメとかは
千紘ちゃん:『名探偵コナン』かっこいいですよ!
慧ちゃん: マンガなら『CRASH』という日本のマンガです。アイドルグループが事件とかがありながら、頑張って国民的アイドルになるストーリです
N、将来、どんな職業につきたいですか?
千紘ちゃん:薬剤師になりたいです、すごく興味があるんです。
慧ちゃん: キャビンアテンダントです、できれば西洋の会社に入りたいです。
N、ボーイフレンドはいますか
千紘ちゃん. 慧ちゃん:いません!!
※ この質問をした時に、二人共、異句同音にものすごく早い反応でのコトバにびっくりしました。でも二人共、理想や好みは、あるそうですよ。(笑)
N、バレンタインデーに何かしますか
千紘ちゃん:チョコを買う予定はあります、でもそれは“友チョコ”です。
慧ちゃん: トリュフを作りまーす(笑)
N、青島の大人達は何か言いたいことはありますか
千紘ちゃん. 慧ちゃん:日本人の大人達はお酒を飲んで酔っ払うとヨロシクない時があります。いい時もあるんですけどね、でも、特に不満はありません!
N、最後にナビゲーターの読者の方にメッセージを
千紘ちゃん紘:道にゴミが多いです。日本人の人はゴミを捨てないでくださいねー(笑)
慧ちゃん:日本人としての誇りをもちつづけて下さい(笑)
N:大事な休日である日曜日の昼下りにもかかわらず、インタビューに応じてくれた2人、素敵でしたよ!アリガトウ!!
这次采访的是两位日本小朋友,千纮和小慧,两个人都是由于父亲工作的原因常驻在青岛,并且都是青岛日本人学校的6年生。在青岛生活的千纮觉得在网球俱乐部的时光是最开心的,并且一直在努力学,小慧觉得在补习班休息期间做小游戏是最有意思的。她们都认为跟日本比较而言青岛的路旁垃圾有点多,还有就是觉得青岛的女人穿着有点奇怪,比如说穿打底裤的时候不穿裙子盖上,直接穿衣服(笑)。两个人都非常喜欢鼎泰丰的小笼包和炒饭。千纮的爱好是画漫画~(笑)。小慧很喜欢日本的岚组合收集了很多岚的作品,当然听他们的歌更是感觉很开心的事。千纮来中国不久,中文还不太好,不过购物和吃饭之类的没问题,小慧则很厉害,出生三个多月就去了上海,那之后一直在中国生活。千纮很喜欢名侦探柯南,觉得很帅气。小慧喜欢日本的动画片CRASH。千纮将来的梦想是做一名药剂师,对这个非常感兴趣,小慧则希望将来通过自己的努力可以去欧美公司工作。而当我们问到有没有男朋友的时候,两人异口同声的喊到“没有”。千纮在情人节准备了巧克力,不过害羞的强调着“这是友情巧克力~”小慧说亲手做松露(笑)。俩人都觉得日本的大人们虽然经常会喝多了很吓人,但是有时候也挺温柔。千纮想跟大家说,一定要注意环保哦,日本人可不要到处扔垃圾啊!(笑)希望大家对我们日本人有个好的印象~多夸夸我们(嘿嘿)